一章 天職検査の結果は……先生の妻!?

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 春休みであるにも関わらず、ユガリノス先生は相変わらずの全身黒尽くめ。  黒シャツに黒スラックス。黒革の腕時計。黒い革靴。黒い鞄。モジャモジャの黒髪。黒縁眼鏡。  オシャレ心も季節感もまったく感じられない。この人は暗黒の呪いにかかっているのでは、と疑ってしまう。 「先生、どうしてここに?」 「逆に問うが、君はなぜ家にいる? 待ち合わせの時間を大幅に過ぎているが?」 「ギクっ! え、ええと、お、お腹が痛くて、起き上がれなくて、イタタ……」  ラテルナお婆ちゃんは八十歳を超えているのに、記憶力が衰えていないらしい。「さっきは、悪い風邪を引いたと言ってなかったかね?」と的確なツッコミを入れてきた。  右手はお腹に、左手は口元を押さえる。 「腹痛と風邪のダブルパンチです。ゴホンっ!」 「さっきまで元気よく話していたじゃないか。本当は寝坊したんじゃないのかい? その場しのぎの嘘をついて、情けないったらありゃしないよ。天国の両親が泣いているだろうよ」  ラテルナお婆ちゃんは意地悪そうに、ふふんっと鼻で笑った。    風邪を引いていないし、お腹も痛くない。嘘をついたわたしが悪い。  だけど、両親の話は持ち出してほしくなかった。父はわたしを溺愛してくれて、「ノアナは、なんでこんなにかわいいんだろう。天職は天使かもしれないぞ」そう言って頭を撫でてくれたし、母は「病気になってごめんね。ノアナを置いていくことがつらい。あなたを深く想ってくれる素敵な男性と幸せになってね。愛しているわ」と、亡くなるその日までわたしの幸せを祈ってくれた。  両親はきっと、空の上から見守ってくれている。  それなのに、両親の期待に応えられていないことが、つらくて、悲しい。  わたしは勉強も運動もできない。好きな人ができても、友達としか見てもらえない。リーダーシップもないし、協調性もない。秀でたものがなにもない。  ヘラヘラ笑って生きているから、周囲からは、「悩みがなくて脳天気でいいね」と言われるけれど、心の中は劣等感でいっぱい。  劣等感を誤魔化すために笑っている自分が情けなくて、視界がじわっと滲む。 「おまえのお父さんとお母さんは立派な人でねぇ。働き者だったよ。なのにおまえさんときたら、パジャマのままダラダラと……」 「大家さん。私が代わりに家賃を払います」  なおも両親の話を続けるラテルナお婆ちゃんを、先生が遮った。  先生は四角い黒鞄から小切手帳と万年筆を取り出すと、迷いのない手でサラサラと記入した。 「今月分の家賃と、猫を飼っている違反金を含んだ金額です。大家さん。あなたは実に聡明で素晴らしい女性だ。ノアナが悲しい思いをしないよう、気を配ってくださる。この先もノアナが住みやすいよう、配慮してくださることを期待しています。大家があなたで本当に良かった。これからもよろしくお願いします」  小切手を受け取ったラテルナお婆ちゃんは、黄色みがかった目で用紙をジッと見つめた。ゴクリと生唾を飲む音が聞こえた。 「あの、猫を飼っている違反金って……。わたし、猫なんか……」 「ノアナ、ちょっと来な」 「え、でも、猫って……」 「いいから! 女だけの緊急会議をするよ!!」
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