引き出しの奥の大切な彼女

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 両親にも久しぶりに会ってもらいたいと言う真吾に、自宅に招待された。   「茜ちゃん!すっかりお姉さんね。美人さんに成長して」    お母さんの明るさは昔と変わっていない。幼なじみだからというだけでなく、度々いじめっ子から真吾を守る私を、時に実の両親より可愛がってくれたのを思い出す。テーブルの上の皿には、私が大好きだったお母さん手作りのクッキーが並べられている。ちゃんと覚えていてくれたらしい。  お父さんはと言うと、リビング横のダイニングの椅子に座り、新聞を読んでいる。しばらくしてから私に気付き、ゆっくりと新聞を畳んだ。   「茜ちゃんか、久しぶりだね。よく気弱な真吾を守ってくれていたのを思い出すよ」   「おじさん、お久しぶりです。真吾君、昔と変わらず優しい男の子のままで安心しました」    真吾だけでなく、両親も不快にしない言葉を選んだつもりだったが、お父さんは何故か不機嫌な顔になった。   「いつまでも優しいままじゃ、困るんだよ。大学生になっても気弱で、本当に情けない。男なら、もっと胸を張って堂々としろ」    いつもの事なのか、真吾もお母さんも反論せずに黙って聞いている。誰も止めないのをいいことに、お父さんは畳んだ新聞に拳を振り下ろしながら続ける。   「いいか、お前のような優しいだけの気弱な男は、社会に出てものし上がれないぞ。そもそも競争社会に、優しさなんて必要ない。そんなもんさっさと捨てて、周りを蹴落とす知恵と強さを身につけろ!」    いつになく力が入っていたのか、ドンと拳を振り下ろした瞬間、その振動で湯呑みからお茶がこぼれた。   「ほらほら、お父さん。せっかく茜ちゃんが来てくれてるのに、そんな大声出して」    苦笑いを浮かべながらこぼれたお茶を拭くお母さんとは違い、真吾の顔は曇っている。その顔は、やれやれといった諦めではなく、明らかに悲しみの感情をまとっている。そんな少しの変化にも気付けたのは、表情を読む訓練をした成果だろう。   「何だその顔は」    だが気付いたのは私だけではなく、やはり父親というだけあってお父さんにもバレてしまっている。真吾はお父さんに睨まれて、何も言えず固まっている。きっと言いたい事はあるはずなのに、こんな威圧的なお父さん相手に言えるはずはない。   「言いたい事もはっきり言えないのか?だからお前はダメなんだ。そんな奴には、不幸な未来しか待っていないぞ。おい、母さんのせいでもあるんだぞ。真吾を甘やかして育てたから、こんな弱い男になってしまったんだ。あれほど厳しくしろと言ったのに。恥ずかしくて、俺の息子だなんて言えたもんじゃない」    我慢できなかった。真吾ばかりかお母さんも傷付けるなんて。萎縮する2人の気持ちを想像したからこそ、言わずにはいられなかった。   「おじさんはこれまでずっと真吾の父親をやってきたのに、全然真吾の事を分かってないんですね?」   「何だって?」    鋭い眼光が、その厳しさを緩める事なくこちらに向けられる。   「真吾は誰よりも優しいし、誰よりも相手を気遣えるし、一緒にいるだけで安らぎを与えてくれる。おじさんにそれができますか?一切トゲが無い所が真吾の良い所なんです。それらは全部、お母さんが真吾のペースを守って、優しく育ててくれたから身についたもの。彼はこのまま変わる必要なんてありません」   「茜ちゃん……」    真吾とお母さんの温かい視線を感じる。   「しかし、社会で生きて行く為には……」   「相手を蹴落として、のし上がっていく事に幸せを感じる人もいる。でも真吾は、誰も不幸にせずにみんなを幸せにする才能があるんです。真吾には真吾の道がある。ダメな部分しか目に入らず、本当の息子の姿に気付いていない父親こそ、不幸だと私は思います」    全部言い切った所で、やってしまった……と一瞬思ったが、不思議と後悔は無かった。   結局お父さんは黙り込んでしまい、気まずくなって真吾の家を後にした。  
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