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46話 白い羽根
久居は、一枚の白い羽根をカロッサに差し出した。
「カロッサ様、これを見ていただけますか?」
「天使の羽根?」
「環を持ち去った者の羽根です」
「そう……分かったわ。見てみましょう」
カロッサがその羽根を手に取ろうとするのを、銀髪の男が制した。
「お待ちください。その者は闇の者です」
何を今さら。という半眼でカロッサがキルトールを見た。
カロッサの話によると、レイの義兄であるキルトールは、後任の警護担当が頼りにならないと言って、これまでもちょこちょこカロッサのところへ顔を出しているらしかった。
一方、その後任の警護担当はレイの友人だとかで、少し離れたところでレイと二人でヒソヒソやっていた。
「カロッサさんには変わりなかったか?」
レイに耳打ちされて、レイの友人は三白眼気味の目を半分にして答える。
「本人に聞けよ……」
「いや、一応それは久居が聞いてたしな。お前の目から見て、だよ」
「んー。変わりないんじゃねぇの?」
「そうか……」
ホッとした表情のレイに、緑髪の青年は小さめな瞳を悪戯っぽく瞬かせて言う。
「しかし残念だったよなー? 警護外されて」
「……まあ、後任がお前なら、まだ良かったよ」
からかっているというのに、真っ直ぐな信頼を返すレイの青い瞳がくすぐったくて、先程サンドラングシュッテンと名乗っていた緑髪の青年は目を細める。
「ふーん? 果たしてそうかな?」
さらなる揶揄にレイがようやく慌てる。
「いや、どういう事だよ!」
「あはははは」
サンドランはしばらくぶりの友人の変わらぬ様子に、明るい笑顔を見せた。
リルは、二人の楽しそうな様子に
(レイってお友達たくさんいるのかな……?)
などと首を傾げる。
(ボクの友達って……クリスと、牛乳かな? 久居とレイは友達……仲間? コモノサマは? カロッサは違うよね。……うーん。よくわかんないや)
キルトールと後任の護衛天使は、リル達がカロッサの元に着いたその少し後に降りて来た。
あまりのタイミングの良さに、おそらく上から様子を見ていたのだろう。とレイが答えていた。
上から……と言われても、リルの見上げた空にレイ達の住む大陸のようなものは見えない。
「下からは見えないようになってるんだ」
というレイの言葉に、天使ばっかり一方的に覗いてちょっとずるいな、とリルは思った。
リルから見たキルトールは、柔らかな物腰の、落ち着いた大人の人だった。
肘辺りまで伸ばされた銀色の長い髪は、結ぶ事なくまっすぐ下ろされている。
紫がかった青い瞳には、片方だけ眼鏡をかけていた。
レイ達のような軽装備に布だけのスカスカの服とは違って、ボタンのたくさんついた首の詰まった長袖で、きちんと全身服を着ているなと思う。
翼は、服に入った切れ込みのような隙間から出ているようだ。
白いシャツのような服に、首からお腹のところにだけ紺色の布が重ねてある。所々金色の縁飾りがついているのは、なんとなくレイの服と似ている気がした。
「初めまして、私はキルトールファイント=リイド・ロイド=スフェルタル。レイザーラの兄です。弟がいつもお世話になっているようだね。ありがとう」
キルトールに、それはそれは綺麗に微笑まれて、リルはちょっとドキドキしながら返事をした。
「ボクはリール・アドゥールです。よろしくお願いしますっ」
リルの使い慣れない丁寧語にも、キルトールはにっこり笑って頷いた。
「こちらこそ、よろしくお願いするよ。おや、リール君は鬼の名は継がなかったのかい?」
キルトールは不思議そうに首を傾げる。
リルは答えに悩んで、コクリと頷いた。
「まだ小さいのに、挨拶が上手に出来て偉いね」
キルトールが、リルの頭に手を伸ばす。
久居は咄嗟にリルの腕を引いて下がらせると、入れ替わるように前に出て挨拶を始めた。
「久居と申します。弟さんには大変お世話になっております」
頭を下げながら(……リルを下げたのは、少しあからさまだったでしょうか?)と、相手の気配を探る。
視線を注がれている感覚に、久居が警戒しつつ顔を上げてみると、キルトールがじっと久居を見つめていた。
キルトールは、久居より背の高いレイよりも、さらに背が高かった。
久居とは十センチ以上は差があるところへ、久居がリルの前に出た事により、一歩距離が詰まった二人は、キルトールが久居をあからさまに見下ろすような形になった。
久居は、自分を見るキルトールの紫のがかった青い瞳が、嫌悪のそれでなかったどころか、懐かしそうな、どこか悲しそうな色をしている事に、内心戸惑う。
闇の者に対して過激派だというレイの兄とやらは、私を忌避してはいないのだろうか……?
疑問を抱きつつも、久居は涼しい顔で品よく微笑んだ。
(……そうか。やはり……)
キルトールは息が詰まりそうになるのを、静かに堪える。
目の前の青年は、レイの眼を通して見る姿より、ずっと存在感があった。
光を吸い込む黒い髪。背格好も、輪郭も、その赤を隠した眼も。
キルトールの中に残る彼に、そっくりだった。
あの頃の彼は、そう、二十六歳だったか……。
(……よく、似ている……)
まるで、あの頃の彼に、もう一度逢えたような気がしてしまうほどに。
「……ああ、これからも、愚弟をよろしく頼むよ」
キルトールは、久居の目を真っ直ぐ見つめ、柔らかく微笑むと、そう答えた。
「それじゃあ、挨拶も終わったところで、私達はちょっと話があるから」
カロッサが、リル達を連れ、屋内で話そうと天使達に背を向ける。
それを、キルトールが引き止める。
「おや、カロッサさん、以前のような事が二度と起こらないよう、今はこの湖の周囲含め強力な結界を張ってありますので、中で無くても大丈夫ですよ?」
隠し事だなんて、非常に残念だと言わんばかりの身振りに、カロッサが渋々足を止める。
じろりとキルトールを振り返ると、指を一本立てて問う。
「どんな話を聞いても、他言しないと誓えるって事かしら?」
「ええ、それはもちろん。天啓なのでしょう?」
キルトールはにっこり笑って答えた。
……にも関わらず、キルトールは口を挟んできた。
久居が天使の羽根を取り出した辺りから、彼の様子がおかしかった事に、リルだけは気付いていた。
心臓の音がすごく早い。
敵に天使がいたって事に動揺したんだろうな。と、この時リルは思っていた。
「久居君は大丈夫よ」
カロッサが、久居から白い羽根を受け取る。
キルトールの心臓が、ドクンと大きく跳ねるのを、リルは聞いた。
「……カロッサさんが信頼を置いているところ、大変申し訳ありませんが……」
と、キルトールが切り出す。
「術中は無防備になってしまうので、せめて距離を取るというのはいかがでしょうか?」
カロッサが、小さくため息を吐きながら「いいわよ」と短く答えた。
カロッサから離れようとする久居の後ろを、リルが追う。
「私に付き合ってくださるんですか?」
久居に優しく尋ねられて、リルは「久居と一緒がいい」と答えた。
向こうでは、
「久居君達だけ離れるんじゃ、フェアじゃないでしょ?」
とカロッサに言われて、レイとキルトールと護衛の天使三人も距離を取らされていた。
「カロッサが、苦しそうなの、なんでかな……」
リルが小さく呟く。
「どういう事ですか?」
久居が聞き返すので、リルは、カロッサの心臓がバクバクしてる事を伝える。
「そうですか……。術前の緊張でしょうか。今日は見学者も多いですからね」
苦笑を返す久居の言葉に、そうなのかな。と首を傾げるリル。
反対に、少し前までドキドキしていたキルトールの心臓の音は、今は、怖いほど静かになっていた。
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