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43話 黒い翼
「申し訳ありませんが、後処理がありますので、お二人は先に戻っていただけますか?」
久居に言われて、リルはクリスと並んでのんびり歩いていた。
「本当に突然だったから、吃驚したわ」
クリスが緩やかに話す。
「なかなか、クリスのいるところが分かんなくて……。会いに来るのが遅くなっちゃって、ごめんね」
しゅんとして謝るリルにクリスは首を振る。
「ううん、ずっと転々としてたから。ここが分かったのだけでも十分凄いと思うよ?」
答えながら、クリスは本当に、どうやって調べたのかと内心首を傾げる。
クリスは、二年前にリルが「お使い」という言葉を使っていたのを思い返していた。
リルと久居さんは、誰かの指示を受けて、何かの目的を持って動いているはずだった。
前回は、私にとって助かる事ばかりだったけれど、今回もそうだと思ってしまうのは危険だと思う。
私は、彼らの目的を知らないから……。
あまりにも突然の再会で。
切羽詰まっていた所を、急に懐かしい顔に助けられて、少し気が緩み過ぎていたかも知れない。
うっかり名前も言っちゃったし……。
だってまさか、天使なんてものが本当に居て、それが私に挨拶をしてくるなんて、思ってもいなかったから。
「……ねえ、リルはあの天使さんとは、どんな関係なの?」
不意に尋ねられて、リルはまだ幼さの残る顔をきょとんとクリスに向ける。
「え? レイはなんだろう……。仲間かな?」
くりっと可愛らしく小首を傾げて、リルは答えた。
『かな』って言われても困るんだけど。と思いつつ、クリスは幼い頃家の壁に掛けられていた、大きなタペストリーをまぶたの裏に思い浮かべる。
家族皆が集まる暖炉の部屋の、ソファーの向こうに、特別な日にだけ、それは掛けられた。
高い位置に大きく描かれた、それはそれは神々しい神様。その周りには天使達が飛んでいる。中央より少し下には、腕輪の絵が四つ。
私達人間に、大いなる神が四環を授けたという伝承を描いた壁掛けは、我が家で代々、大切に守られてきたものらしい。
おばあちゃんは、その壁掛けを見上げては、私に繰り返した。
『ティアナ。困った時には、神様にお祈りするのよ。一生懸命祈れば、必ず天使様が助けにきてくださるわ……』
幼い私の頭をゆっくり撫でながら、何度も何度も。
実際は、神様に祈ったところで、天使なんか来なかった。
だから、里は丸ごと焼き尽くされた。
私達の家族はなんとか逃げ出せたけれど、それもほんの少しの間だった。
神様のおかげだねぇ。なんて言ってた、あんなに信心深かったおばあちゃんだって、結局炎の海に沈んだ。
私の家族は、もう牛乳だけだ。
この世には、神様も天使も居ないのだと思っていた。
居ないものに縋ったってどうにもならない。
そう思って、今まで、最後の一人になっても、この環を守り抜いてきた、つもりだった。
それなのに、今になって……。
……本物の、天使が現れるなんて……。
「にゃあ」
と腕の中で牛乳が鳴いて、クリスは自分がリルと会話していた最中だった事に気付く。
「クリス……?」
声に横を見ると、二年前とそう変わらない、幼いままのリルがこちらを心配そうに見つめている。
「リル……今何歳?」
ふと、思ったままに口にする。
「ボク? 十九歳になったよー。クリスと同い歳だもん」
ニコニコと答えるリルだが、その風貌は、十二歳ほどか、良くて十四歳と言えるかどうかという風だ。
やっぱりおかしい。
背中をゾクリと冷たいものが伝う。
「あ、えっとね。ボク達は歳を取るのがゆっくりだから、見た目はクリスの半分くらいになっちゃうんだけどね」
リルが、クリスの凍えそうな瞳を溶かそうと、慌てて説明をする。
ボク達、という言い方をしたのは、リルなりにクリスを思い遣っての事だろうか。
(久居さんはちゃんと成長してたみたいだけど……?)と思っていたら、「レイも、若そうだけど、四十六歳だよ!」と付け足された。
「えっ、そうなの……?」
「うん!」
リルが元気に頷く。
(そ、そうなんだ……そういうものなんだ?)
クリスは先程の二十歳過ぎくらいに見えた天使の姿を思い浮かべながら、少し混乱する。
言われてみれば確かに、里を焼いた『鬼』と呼ばれる悪魔も、フードでほとんど隠れてはいたが、今のリルよりもう少し大きいくらいの少年の姿をしていたように感じた。
……あの男も、見た目よりはずっと大人なのだろうか……。
隣でリルが、人間のように見せかけた耳を、ピクリと動かした後、ホッとした顔になったが、考えにふけっていたクリスは気付かなかった。
「お待たせしました」
背後からかけられた久居の声に、リルとクリスが振り返る。
久居とレイは、リル達が家に着く前に追い付いた。
レイは先程の姿とは違って、白いシャツに黒のズボン。ベストはブルーで、翼のかわりにか、白い布をふわふわと腰の周りになびかせている。
さっきに比べれば随分と馴染みやすいというか、そこらの村人に近い外見になっていた。
実は、レイはミニサイズの空竜に不可視の術をかけながら肩に乗せているのだが、それはクリスには分からない。
「さっきの男達は……」
どうなったのか。と聞くのが少し怖いような気がして、言葉が途切れたクリスに、久居はふわりと微笑む。
「ご心配には及びません、クリスさんのところへは、もう現れないと思いますよ」
……それはどういう事だろうか。と、男達の行方が不安な気持ちと、もう来ないなら良かったと思う気持ちが入り混じる。
クリスが複雑な顔をするのを見て、レイが言葉を加えた。
「殺したりはしていない。天使は命を守る者だ、無闇に奪うことはない」
『命を守る者……』
その言葉が、深くクリスの胸を抉る。
ならどうして……。
どうして皆を助けてくれなかったのか。と、喉まで出かかるそれを、クリスは無理矢理押し込めた。
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