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「久居……」
「母を……あのように……冷たく、暗い海の底に、置き去りにして……」
低く低く、唸るような声で、絞り出すように久居は話す。
「……そうまでして、助けた弟も……、守り切れず、私は……っっ」
レイは、最初久居が泣いているのかと思って、顔を見ないようにしていた。
しかし、背後にゆらりと怒気を感じ、思わず振り返ると、久居は、その瞳に激しい怒りを宿していた。
強い憎悪の気配が辺りに広がり、レイは思わず岩から飛び降りる。
こいつ! 泣くの堪えてたんじゃなかったのか!!
怒り狂いそうなのを、必死で堪えてたのか!!
ああそうか!
こんな冷たいとこで、身体の芯から冷え切って何してんのかと思ったが、分かった!
頭を冷やしてたんだな!!!
レイが自分の悪手をようやく理解した時、久居からズズズと真っ暗な闇が姿を現した。
その色に、気配に、レイは心の奥底から止めどなく恐怖を引き出される。
「リル! おいリル、起きろ!!」
レイはそれを打ち破るように声を上げ、背後の家に向かって呼びかけた。
闇は一気に膨れ上がると、久居目掛けて降り注ぐ。
「っ!」
久居は、ぐらりと姿勢を崩すも、なんとか踏みとどまった。
怒りや憎しみは、闇の力を強める。
久居の感情に、闇の力が応えたのだろうが、それにしても……。
レイは久居の姿をもう一度上から下まで眺めると、その異様な姿にごくりと喉を鳴らした。
久居はその全身を闇にきつく締め上げられ、痛々しい姿になっていた。
(相変わらず、お前の怒りの感情は自分だけに向かうんだな)
闇が周りを無差別に襲わない事は、レイにはありがたかったが、それにしたって、自分で自分を攻撃してるんじゃあんまりだと思う。
ギイッと窓が開いて顔を出したのは、リルではなくクリスだった。
「ど、どうしたの……!?」
「お嬢さん! すまないがリルを起こしてきてくれ!!」
「わ、分かった!」
クリスはバタバタと居間へ向かった。
これでひとまず炎は確保できるだろうが……。
「久居! 聞こえてるか!? お前、昨日の会話覚えてるよな!?」
レイは、空竜の上での会話を思い出す。
長距離移動用に巨大化した空竜の背中、一本一本の毛までが巨大化しているその皮膚の近くまで降りると、風に煽られることもなく人が座ってすごせるほどの空間があった。窓は無いが、レイが光球をいつものように水晶に詰めれば明かりには困らない。もっとも久居は夜目が利くし、リルも人よりは暗さに強かったが。そこは夜でも空竜の体温であたたかく、過ごしやすかった。
「なあ久居、お前、あれから闇の力の方は大丈夫なのか?」
少しだけ遠慮しながら、レイが問いかけると、久居が視線だけで振り返った。
「そうですね。時々リルに焼いてもらっていますから、今のところ制御できていますよ」
「ここから先は菰野もいない。……もし、今度がお前暴走したら……。…………俺は……」
レイは思い悩むように、ぐっと握った拳を見つめて眉を寄せる。
久居を傷付けずに救う事は、自分には難しいかも知れない、とレイは思う。
だから、レイは何より、久居の闇の力の暴走を恐れていた。
「その心配は不要です。私はもう、あんな失態は犯しません」
久居がさらりと答える。
「……い、いやいやいや、何を根拠にそうもキッパリ言い切れるんだ?」
レイが肩透かしを喰らって、がくりと姿勢を崩し、そのまま座り込んだ。
「菰野様に、生きて戻れとの命をいただきましたから」
荷物を纏める久居は、まだレイに背を向けていたが、久居が笑ったのをレイは感じた。
「私を粛せばレイは天界に戻れるところでしたのに、残念でしたね」
久居が楽しそうに言う。
その余裕には恐れ入ったが、その言い様には苛立ちを感じる。
俺は、お前を傷付けたくないから、気を揉んでいるというのに。
「はぁ……。まったく。お前の冗談は、いつも笑えないんだよ!」
この苛立ちを自分で解消するのも悔しく思えて、レイは久居の頭を後ろからぐいと押す。
久居は、敢えて避けなかった。
けれど今、久居はまた闇に飲み込まれようとしていた。
「お前、もう暴走しないって言い切ったじゃないか!!」
久居は、闇にギシギシと絡み付かれたままに、片手で顔を覆って、荒い息をしている。
「菰野のとこに帰るんだろ!!」
びくり。と久居が反応する。
「菰野を待たせてるのに、お前、こんな事してる場合じゃないだろう!!」
「……っ、菰野、様……」
小さいが、確かに聞こえた久居の声。
(よし! まだ久居には意識がある!! どうかそのまま、手放してくれるなよ……)
この場に居ない菰野に頼るのは、どうにも情けないと思いつつも、レイは久居を傷付けずに済む方法を探る。
「菰野の言葉を思い出せるか!? 落ち着いて、呼吸を整えてくれ!」
(リルはまだか……!? 俺の全力の障壁では、闇を防げるかどうか……)
レイが内心焦っていると、ようやくパタパタと駆け寄る軽い足音が聞こえてきた。
「久居っ」
闇色に捕らわれた久居を見て、既にリルは涙声だ。
「リル! やっと来たか! 炎を出してくれ!」
「レイに?」
リルがレイに手を伸ばしかけるので、レイが慌ててその手を久居の方に向ける。
「俺じゃない! お前が自分でやるんだ!!」
至近距離で叱られたリルが、耳をパタつかせて、ぴゃんと縮む。
「……ボクが……?」
リルは、自分の指先と久居を交互に見つめて、固まった。
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