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「ハルさん、今夜は僕がご飯作ります」
そんな智の一言に、ハルは面食らった。
「なに、いきなりどしたん」
「そんな気分なだけです」
「って、えーちゃん料理なんかできんの?」
「これでも一人暮らししてたんですからね」
「いうて寮やないか」
そんなやりとりをしながらも、智は張り切ってベージュのキャンバス地でできたエプロンを着けている。形から入るタイプなのかもしれない。
共に暮らす恋人同士のふたり。普段、食事はハルが担当していて、一緒に暮らしだしてから智が料理をしたことは一度もない。それは単に、この生活を始める前からハルが日常的に調理をしていたからである。智が料理出来るのか? 果たしてその腕前は? ハルは全く知らない。智が張り切っていることだし、お手並み拝見といくことにした。
のだが。
あらかじめ手順を考えて段取りを把握しているのか、怪我をしないか、一八〇をゆうに超える大柄の智がレンジフードで頭をぶつけないか、今夜まともな食事にありつけるのか。ありとあらゆることがどうにも心配でならない。決して器用とは言えない智の一挙手一投足を、不安そうに目で追う。キッチンのカウンター越しに、鼻の下を伸ばして智の手元をしきりにのぞき込む。手順を間違いそうになったり、熱湯や包丁使いが危なげだったりすると「あっ」なんて声まで漏らす始末である。
「……」
智はため息をつきながら手を止め、キッチンからハルのいる側へ回ってきた。そしてハルの両肩に手を乗せるとくるりと方向転換させ、ソファへ促し、座らせた。
「気が散るので、黙って座っててください」
遠目から見ていると、いくらか客観的に智の姿を見られるようになった。落ち着いて見るとレアな場面である。エプロン姿の恋人が自分のために手料理を振る舞ってくれている。そう考えると心配や不安も薄まり、せっかくの機会を逃さないように、しっかり目に焼き付けることにした。目に焼き付けるだけでは気が済まず、思わずスマートフォンを取り出し撮影していたら、シャッター音で智に気づかれ、また怒られた。
やがてよく知ったスパイシーな香りが部屋に漂い始めた。どうやら今夜はカレーのようである。定番過ぎて可愛いなあ、母の日に子どもが作ってくれるみたいな? とハルがこっそり一人でニヤけている間にも、智は時折「あ」とか「ん?」とか言いながら、黙々と手を動かしている。その眼差しは真剣そのもので、まるでハルの存在など忘れているかのように集中しているのだった。
炊飯器から蒸気が噴きだす頃には、サフランの香りも混じってきた。
かちゃかちゃと食器を触る音がし始めたので、盛り付けやテーブルに運ぶ作業ぐらいは手伝おうとハルがキッチンに近づいたが、入れてもらえない。しぶしぶ再びソファへ戻った。
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