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第二十一話
藤堂の気の抜けた声を聞いて、吾郎は要に扉を開けるよう指示した。
招き入れられた藤堂は、自分を迎えたのがつかさや吾郎でなく見知らぬ少年であったことに少しだけ戸惑いを見せたが、初めて吾郎の事務所を訪ねた時の会話を思い出し納得したように頷いた。
「あっ、初めましてー。自分は万世橋警察署の藤堂と言います。今回の事件では時留さんやつかささんにお世話になってましてー…」
やけにおっとりとした藤堂に拍子抜けした要ではあったが、頭を下げられると返すように自らも軽く頭を下げた。
「あ、どうも…近藤要…と言います。」
「刑事さん、今日はまた何かあったんですか?」
気付くと要のすぐ後ろに吾郎が立っていた。
壁に寄り掛かる形で片手には吸い掛けの煙草を持ち営業スマイルを藤堂に向ける。
職業柄警察と付き合いはあった方が良いのだが、たかだか第一発見者という事で自宅まで押しかけて来られては流石の吾郎でも気分が悪い。
「あの…つかささんは…?」
藤堂は姿の見えないつかさを探すように首を伸ばす。
「アイツなら、無理がたたって休んでますよ。暫く起きないでしょうね。」
「えぇっ…!?」
予想外の吾郎の言葉に、藤堂は困惑した表情を浮かべる。
「つかさが何かしましたか?」
「いえっ、あのー…今日お会いしたときに犯人が分かったと仰っしゃってたので…」
「今日つかさに会ったんですか?」
「はい、えぇ、あの…病院で…」
「病院?」
つかさから経緯を聞いていない要と吾郎は揃って顔を見合わせた。
「あれ?ひょっとしてお二人はご存知ないんですか?」
「何の事でしょうか?」
「今朝方、歌舞伎町に勤めるホストが秋葉原で川に突き落とされまして、つかささんがご友人ということでしたので来ていただいたのですが…」
二人がその事実を知らないとは思っていなかった藤堂は多少困惑しながらも簡単に事の経緯を説明する。
つかさの友人と聞いて、要が真っ先に思い浮かべたのはアサミだった。
確かに先日要と会ったときのアサミの格好ならば、要がホストと言われてもすぐに結び付けることが出来た。
「その方は?」
「あ、えっと…幸い一命を取り留めまして、つかささんはその方と少し会話をされてからすぐにお帰りになられたんですがその時に…」
藤堂は廊下の奥を気にしながら声をひそめる。
「事件は解決したってつかささん言ってたんですよ…」
友人が川に突き落とされたという精神的ショックが、一命を取り留めたという安堵感によって一気に気が抜けてしまったのだろう。
吾郎は目を細めてつかさの部屋に視線を送ると、身を翻してキッチンへと向かった。
「要、上がって貰って。」
「あっ、はい!」
吾郎の指示に従い、要は玄関の脇に並べてあった来客用のスリッパを藤堂に薦める。
「どうぞ。」
「すいません、お邪魔します…」
非喫煙者である藤堂は、キッチンに足を踏み入れた時の独特な煙草の香りに躊躇いを見せたが、すぐに何でもないかのような表情を取り繕い、勧められたソファに腰を下ろす。
つかさの様子を見てからキッチンに入った吾郎は、テーブルの上に置いてあった煙草を手に取りながら藤堂の正面に座る。
「所長、どうでした?つかさ…」
「あーダメダメ。無理に起こせば俺らがとばっちり食うよ。」
「そうですか…」
「取り敢えず、お客さんにコーヒー。」
「はい。」
「あ、自分の事でしたらお構いなく…」
藤堂はそう言いながら腰を浮かせるが、吾郎はまあまあというように藤堂を宥めるように落ち着かせる。
「それで、捜査の方は進展はしたんですか?」
カチッ、とジッポの音を立てながら、吾郎の口にした煙草に火が点る。
長い息と共に吾郎の口からは白い煙が吐き出され、視線は藤堂へと向けられる。
「あぁ…はい。笠井は事件の起こる直前、若い女性と秋葉原の喫茶店にいたことが監視カメラの映像で確認されました。」
藤堂の話によると、つかさと要が秋葉原駅のロータリーで笠井を目撃したと思われる数分前、秋葉原駅付近の喫茶店に笠井が若い女性と入店していた事が確認されていた。
笠井は女性の肩を抱き、店奥の席を選ぶと向かい合って座り、笠井はコーヒー、相手の女性はアイスティーを注文した。
女性は終始サングラスと帽子で顔を隠し、笠井の話し掛ける言葉に対しても小さく頷いて答えるだけで、あまり親しい様子には見られなかったという。
笠井は一度だけ、離席をして洗面所に向かった。
監視カメラの映像だけでは鮮明に判断は出来なかったが、女性はしきりに外の様子を気にし、それから笠井の注文したコーヒーに『何か』を入れるような素振りを見せた。
それからすぐに笠井は席に戻り、女性は今度は時計を気にしながら約15分後笠井を残して店を後にした。
つかさと要が笠井を目撃したのはその直後の事である。
「その女が、血塗れウサギ…ですか?」
藤堂が話し終わるのを待ち、吾郎は灰皿に煙草を押し付けながら口を開く。
「いえ、どうも身体的特長からしてその女性は血塗れウサギとは一致しなくて…」
今になって対象と違う人物が捜査線に上がってきてしまえば、ここまでの捜査が全て振り出しに戻ってしまう。
吾郎には藤堂の憔悴が見て分かった。
しかし、ここ最近のつかさの状態を考えてみると、その様子からしてつかさが何かしらの答えを独自で得ていることは明白だった。
そこまで分かっていても、つかさを起こす気になれないのは吾郎の兄心だった。
藤堂はそわそわと落ち着きの無い様子で要の入れたコーヒーに口を付けた。
「どうしました?」
「いえ、あのっ…」
カチャリとカップと受け皿の当たる音がしたのは、明らかに藤堂の動揺によるものだった。
藤堂は深呼吸をして自らを落ち着かせると、一度要に視線を向け、それから吾郎に戻した。
「…本当に、申し訳ない事だとは思ったのですが、上からの命令で少し…調べさせてもらいました。」
「何をです?」
「その…つかささんの事やあなたの事をです」
「!」
藤堂の言葉に、要は思わず息を呑んだ。
中学からの同級生である要は藤堂が調べて分かる範囲の事は元から知っている。
恐らく藤堂の様子がおかしい事の理由は、要も知っている事だろう。
つかさも隠しているわけではないから言及もしないでいたことだった。
「その…色々とあるみたいですね。」
藤堂はそれをいうことが精一杯だった。
何故なら、煙草を灰皿に押し付けた吾郎が腕を組みながら、サングラス越しに黙って視線を向けていたからだった。
警察という職業柄、捜査協力をしているとしても素性の分からない相手の身辺調査をするのは当たり前であるだろうし、その辺りは吾郎も熟知している。
しかし、かといって自分の事だけならばいざ知らず、身内の身辺調査をされれば良い気にもなれない。
「黙って…つかささんの事を調べてしまったことは本当に申し訳なく思っています。」
藤堂は、テーブルに手を付いて頭を下げる。
無言のまま向けられる吾郎の視線に耐え切れなくなったからだ。
この状況は、要としても黙っては見ていられない。
上司である吾郎の手前、口を挟まずにいた要ではあったが、今にも泣き崩れてしまいそうな藤堂の声色に胸が締め付けられた。
「藤堂…サン?そんなに気にしなくてもええですよ。所長やって、怒ってる…訳やないんですから…」
ちらりと吾郎に視線を向けると不機嫌な目線が要へと向けられ、要の背筋に冷たいものが走った。
「あ、つかさ…つかさ起こしてきましょうか!あいつもそろそろ目ぇ覚ます頃やと思いますし…!」
「要。」
かけられた吾郎の言葉はどこか冷たかった。
「少なくとも、ここ数日は目を覚まさないと思いますよ。少々無理をし過ぎたみたいですからね。」
「そうですか…」
「残念ながら、お引き取りを。」
吾郎の促しに、藤堂は俯いたまま立ち上がる。
おろおろとしたまま、要は藤堂と吾郎に視線を向けるが、吾郎は藤堂に視線を向ける事すらしなかった。
深々と頭を下げると、その時ばかりは吾郎も藤堂に対して頭を下げる。
藤堂が帰るつもりであると悟った要は藤堂よりも先に進み、ドアを開ける為取っ手に手をかける。
ガチャ
「…あ。」
小さな声を出したのは要ではなかった。
キッチンから内開きであるドアは、要が開けるより早く開き、誰もいないと思っていたつかさが要とぶつかりそうになり思わず声を上げたのだった。
「つかさ、」
「…どうした?」
恐らくたった今起きたというところなのだろう。つかさは半分夢現にいながらも、不思議な顔で自分を見る要に首を傾げた。
「寝てないで…ええんか?」
「なんで?」
自分が玄関先で倒れた事、そして誰が部屋に運んだのかをつかさはあまり深く考えていなかったらしい。
そういうよりかは、どちらかというと寝起きで考える力が無かったからだ。
はっきりとしない要の態度をよそに、つかさは要を横切ると冷蔵庫へと足を向け、中から牛乳のパックを取り出す。
棚から取り出したコップに牛乳を注ぎながら身を翻すと、ようやくつかさの視界にソファに腰を下ろしている吾郎の姿が目に入った。
「あ、吾郎お帰りー」
「…ただいま。つー君、お客さんだよ。」
「え…?」
吾郎の言葉に視線を向け、つかさはそこでようやく藤堂の存在を認識した。
「…あら。」
「先程はどうも。」
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