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第十二話
「つかさ、志村さんの事好きやろ」
鍵穴に鍵を差し込んだつかさの手が止まる。
「好きだよ。人間的に。」
「そうやろな。あの人から花貰った時にお前めちゃくちゃ嬉しそうな顔しとったから。」
「何か関係ある?」
カチリと解錠をして扉を開けたつかさの鼻先に、青いものがちらついた。
それは、先程つかさが要に一本だけあげた薔薇で、要は顔を背けながらその薔薇をつかさにつきつけていた。
「何の真似…」
「やる!」
「は?」
「やる言うたらやるわ!」
バンと押し付けられた拍子に思わずつかさはその一本の薔薇を受け取ってしまう。
元々全てを貰ったのは自分で、そこから要にあげた一本であったのに、と当然のように沸き上がった疑問を飲み込む。
訳も分からず立ち尽くしているつかさの横を擦り抜けると、要はつかさより先に玄関を通り、脱ぎ捨てた靴もそのままに右奥の部屋へと入って扉を閉める。
「ちょ、おい…!」
バタンと虚しく響いた扉の音に、つかさは手を伸ばすことしか出来なかった。
最近の要はどうもおかしい。
久々に夜中の発作も復活したし、喜怒哀楽もいまいち把握しきれない。
「おかしい」という意味で言うのなら恐らく自分もそうなのだろう。
関係のない相手と言えど、人の死を目の当たりにしたのだ。
慣れたいと思えるものでもない。
要の脱ぎ捨てた靴を揃えながら玄関に上がったつかさのポケットからメールの着信を告げる音がする。
自らの靴を脱ぎながら手に取った携帯電話を開くと、メールの送信元はアサミだった。
「何アイツ…今仕事中じゃないのかよ」
独り言のように呟きながら、要の部屋の前を横切りその隣の部屋の扉を開ける。
ようやく自分の部屋に到着し、それまでの疲れが一気に流れ出たかのようにつかさはベッドに横になる。
アルミ製のパイプベッドは無機質で、部屋の中にはベッドと同じくパイプで出来たパソコン机があった。
天井を見上げながら携帯の画面に視線を向ける。
『今から店来れないか?懐かしい子達が来てる』
文面はそう告げていた。
「懐かしい子?誰だよ…」
くるりとベッドの上で体を一回転させ俯せになると、返信画面へと切り替える。
隣の部屋には確かに要がいるはずなのに物音一つしない。もう寝てしまったのだろうか。
視線を横に流すと、顔の隣に志村から貰ったブーケと、要から貰った一本の青い薔薇が目に入った。
「何なんだよアイツ本当に…」
独り言の多いつかさは誰もいないところでこそ口数が多い。それは一重に人との対話が苦手だからとも言える。
ピルルッ…
メールの着信を告げる音がする。
それはアサミからの返信だった。
バタン…ガチャ、ガチャ
深夜0時過ぎ、玄関の扉が閉まる音と鍵のかかる音で要は目を覚ます。
いつの間にか寝てしまっていた。
はっきりとしない頭のまま、暗い部屋の中を見渡す。誰もいないのは当然だった。
ふと、その時要は妙なことに気が付いた。
扉の閉まる音と鍵のかかる音は確かにしたはずなのに、誰の足音も聞こえない。
もしつかさが近所のコンビニにでも行って帰って来たとしても、足音も立てずに要の部屋の前を通るはずがない。
駆り立てる妙な胸騒ぎを押さえながら自室の扉を開けて外の様子を伺う。
誰もいない。
それどころか電気も付いていなかったので、要の部屋とさして変わらぬほどだった。
「つかさぁ…?」
つかさの部屋は要の部屋の真隣にある。
寝ているのならば物音一つしないのが普通だったが、今日はやけに静か過ぎる。
緊張した面持ちで手を上げ、部屋の扉を二回ノックする。
コンコンッ
案の定、返事は無かった。
しかしつかさは部屋の中にいる時でもノックに対して返事をしないことが多々あった。
もし寝ているところを邪魔してしまったとしたら、つかさの機嫌はそれまでとは比べものにならない程悪くなる。
つかさの寝起きの悪さは低血圧によるものだが、それについては要も若干疎ましく思うこともあった。
「なあつかさ、入るで…」
一応の断りを入れてから要はつかさの部屋の扉を開ける。
部屋の中には誰もいなかった。
「つかさ…?」
お互いの部屋に入ることが今まで殆どといっていい程無かったので、要はこの時始めてつかさの部屋を見たような気がした。
生活感の無い部屋。
アルミパイプのベッドが冷たさを一層引き立てていた。
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