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第二十三話
「うっ…わぁぁあああ…!!」
爆発したような牧村の力に、つかさは一瞬で弾き飛ばされる。
しかし、牧村の手が落とした包丁に伸ばされたのを見逃さず、驚異的な瞬発力で足を伸ばしその包丁を屋上の角へと蹴り飛ばす。
代わりにつかさが大勢を崩したその隙に、牧村はアサミの胸倉を掴み上げ、柵へと追いやっていた。
「公平!?何やってるの!?」
「お母さん!あなたが悪いんですよ!」
「私…?」
「陽子さん聞くな!つかさっ!」
牧村に首元を締め上げられながら、アサミの上半身は柵から外へと乗り出していた。
病院は5階建て、下はすぐ道路なので落ちたら助かりはしないだろう。
つかさの背中に冷たいものが走った。
「牧村やめろっ…お母さんの前だぞ…」
「つかさ先輩…あなたもアサミ先輩と同じです。汚い…」
牧村の手は怒りに震えていた。
様子を伺いつつ、腰を浮かせたつかさの動作が目に入った牧村は、アサミの上体を更に柵の外へと突き出す。
「つかさ先輩、動かないで下さい…」
ギリっと唇を噛み、つかさは距離を置いたまま二人へと視線を向ける。
「どういう事なの…私が悪いって…」
陽子の言葉に、つかさは思わず息を呑んだ。
牧村自身が、今現在後戻りできない状況に追い込まれている。
ぽつり、と肩に落ちた水滴に視線を仰ぐとぱらはらと小さな雨が降り出し、コンクリートを濃い色に染める。
牧村の手が震えていたのを感じ、アサミは牧村を見る。好んで殺人を犯すような人間ではないことはアサミが良く知っていた。
あの日、歌舞伎町でつかさが牧村に会った時、
牧村は何故あそこにいたのだろうか。
もしかしたらこの…ホストに貢ぐ母親を探していたのではないだろうか。
「そりゃ確かに…ホストが憎いよな、牧村…」
アサミの頬に落ちた冷たい水滴は、ただの雨だったのか。
「違うっ…わたしはただっ…」
アサミは知っていた。
つかさが牧村と知り合うその少し前、アサミは牧村の父親の葬儀に参列していたからだった。
母親を守れるのは自分しかいない。
「わたしはただっ…お母さんに愛されたかっただけよっ…!!」
牧村の両腕に力が入る。
アサミの両足は既に地面から離れ、腰に当たる柵の一点だけがアサミを支えていた。
「牧村ッ!!」
「来るなぁっ!」
動くのは得策とは言えない、しかし動かなくても結果は同じだろう。
「先輩達みたいな人種がいるからっ…お母さんはいつまでたってもわたしを愛してくれないっ…!お母さんを守れるのはもうわたししかいないのにっ!」
「…だからって、笠井を殺したのかよ牧村…」
アサミの言葉に、牧村は悲しそうな視線を向ける。
「そうよ…お母さんはあんな男のところに通うために借金までして…」
確かにホストクラブに通い詰めるなど、いち未亡人には不可能に近いだろう。
つかさが背後にいるはずの陽子に視線を向けたとき、牧村の言葉にショックを受けたのか、それまでぎりぎりのラインを保って立っていた洋子の体が糸が切れたかのように崩れ落ちた。
コンクリートの地面に頭をぶつける前に、つかさはその体を受け止め、ゆっくりとその場に横たわらせる。
場所が場所のため、屋内に移動をさせた方が良い気もするが、恐らく牧村がそれを許しはしないだろう。
「ようやくあの邪魔な男を消したと思ったのに…今度は先輩、あなたですか…あなたもわたしからお母さんを奪うんですか!?」
「やめろ牧村ッ!…分かってるんだろ…」
つかさの言葉に、牧村はぎくりと背中を震わせる。
気が付いたら、いつの間にか雨が降っていた。
つかさは自らの上着を脱ぎ、陽子の体にかける。あまり長居はしていられない。
「…ホストなんてクズですよ。」
「そうだな、俺もそう思うよ…」
男の立場からして、大切な女性をたぶらかすホストという存在は許し難いものだろう。
「…けどな、牧村
お前の為に『ユキちゃん』は死んだんだぞ?」
「え……?」
ただ、雨の音しかしなかった。
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