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第一話
秋葉原でのホスト殺人事件、それが終わってから数週間。
つかさは学期末試験が終り、秋休みだと言って昼間は家にいることが多くなった。
『あの事件』から暫くの間ふさぎ込みがちだったつかさも最近はようやく今までの元気を取り戻したようで――と言ってもつかさはそもそものイメージが『元気』とは掛け離れているので中々判断が難しいものではあるが――少しずつ会話も出来るようになってきた。
そんなつかさがある日突然、金髪になって事務所にやってきた。
つかさがやって来たのは夕方近くの事務所で、特に仕事も依頼人もなく、要は所長の吾郎と共に時間を持て余していたところだった。
ノックもなく扉を開けるのはつかさの癖で、扉が開く音に要はソファに寝転がりながらやっていたゲームの手を止め、視線を向けた。
「つか、さっ…!?」
要が驚いたのも無理は無い。20数年間髪も染めない、ピアスも空けないで黒髪がトレードマークであるかのようなつかさの髪の色が突然金色に変わっていたからだった。
つかさは元々肌の色が白い為、その上髪の色が金ともなるとまるで子供の頃に見かけたことのある玩具の人形のように見えた。
顔を茶色いサングラスで隠し、赤いサテンのシャツに黒いスーツ。一見してホストのように見えるその格好のつかさは今朝自宅で顔を合わせた時とは違う雰囲気であった。
そのつかさはまた家を出るときに志村に貰ったのであろう小さなブーケを手に持っていた。
「俺、今日また遅くなるからさ。悪いんだけどこの花ここに飾らせてもらってもいい?」
自身の髪の色など気にも留めていない様子でつかさは口を開く。
「花やなくてつかさ、髪ィ!」
「え…似合わない?」
思わずソファから跳び起きた要の反応とは真逆に、つかさは自らの前髪を指でつまみ色を見る。
「似合う似合わんやったら確かに似合うけどっ…!ってそんなんやなくて!髪!なんでいきなり色変わってんねん!?」
以前つかさが髪は染めないと明言していたのを聞いていたからこそ、要の驚きようは大きかった。
一目見ただけでは確かにそれがつかさであると要は気付くことは出来なかっただろう。
「…俺が髪の色変えんのに、わざわざお前の許可がいるのか?」
つかさからしてみれば、思った言葉を率直に口にしただけの事だが、要にとっては酷く冷たい、突き放されたような一言だった。
二の句が出ない要の様子を黙って見ていた吾郎は、ゆっくりと手にしていたコーヒーカップを机の上に置く。
「つー君?もうホストはやらないって約束じゃなかったかな」
吾郎の指摘に、つかさの顔色が一瞬にして変わったのが分かった。突然落ち着きの無い様子でつかさは髪に触れ、服装を整え始める。
それにしても吾郎はつかさが髪の色を変えただけでその事に気付いたとでもいうのだろうか。
「いや、あのさ。アサミ…友達、が…こないだの事件でまだ仕事に復帰できないみたいだからその間の代わりみたいな感じで頼まれて…」
「ふぅん?」
それ以上問い詰める言葉は出なかったが、明らかに吾郎の口調は不機嫌そのものだった。
「要。」
「は、はいっ!?」
予期せぬ指名に、思わず要の声が上擦る。
その一言だけで吾郎の意図が読めたつかさはあからさまに不機嫌な表情を浮かべる。
「後ろめたい事が無いなら、要が一緒に行っても構わないよね?」
「まぁ…いいけど…」
「って、俺ですか!?」
ふいに話を振られ、要は吾郎とつかさの順に視線を向ける。
要にとっては今この状況でつかさが過去にホストをやっていたという事実ですら初耳だった。
「今は丁度仕事も来ていないし、つー君がその友達の代わりを勤める間は要を監視に付けるけど、それでも構わない?」
すぐにつかさの答えは返ってこなかった。
たった数秒の内につかさは頭の中でどのような思考を繰り広げたのだろう。
やがて、吾郎の策略には逆らえないと諦めたのか、小さな溜息を吐き出す。
「…いいよ。俺はそれで構わない。」
「じゃあ、そういう事で。要、すぐに支度してつかさに着いていって。」
「あ…はいっ。」
要に選択の余地は無かった。
事務所にやって来たそのままの格好に、上着を羽織り待ち侘びていたつかさの元へと駆け寄る。
「あー…そんじゃ、行ってきます…?」
「帰ってくる時には、ちゃんと連絡いれるようにね。」
つかさは無言のまま吾郎に向かって手を振り、要が事務所の扉を閉めた。
明らかに不機嫌なオーラを漂わせるつかさの後に着いていく要。
「…あーと、つかさ?」
「何。」
返ってくる言葉もどこかしら冷たいように感じられた。
「あの花、また志村さんから貰たんか?」
自宅の1階に花屋を持つ志村は、何かといえば会う度につかさに花を渡す男だった。
「そうだけど?」
返答はまたあっけないもので、つかさはどこかしら話を振られたくない様子だった。
恐らく要が着いてくる事そのものがつかさには気に食わないのだろう。
「…なんか、アレやな、つかさ」
「あ?」
「所長って…やっぱりお前に対してちょっとっつーか、かなり過保護…」
「それを言うなよ。」
くすり、と小さな笑い声がしたかと思い、要がつかさの顔を覗き込むと、つかさは苦笑を浮かべていた。
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