第二十話

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第二十話

どれ位の時間が経ったのだろうか。 鍵の開く音に重い瞼を開けると、自分がつかさの部屋の扉に寄り掛かったまま眠っていた事に気付いた。 今何時やろ… 腕時計に視線を向けようと思っても、腕を上げる気にはなれなかった。 「入れ。」 吾郎の声が聞こえる。どうやら客を連れて来ているようだった。 玄関からキッチンまでの短い廊下。その左右に個人の部屋があるので、いつまでも廊下に往生していては吾郎の迷惑になる。というか怒られる。 早くどかなければと思いながらも、要を襲う猛烈な眠気が簡単に体を動かしてはくれない。 「邪魔します…」 どこかで聞いたことのある声だった。 記憶を辿る要の耳に、ぎしりという廊下を踏む音が届く。 きっと吾郎はもう要の存在に気付いている。 動かなければ、と再び思った要の体が突然ふわりと持ち上げられる。 「お疲れ様…」 吾郎の声が要の耳に届いた。 吾郎に抱き抱えられたまま、要の頭は少しずつ覚醒していき、キッチンの中に入ったことが分かった。 ソファに寝かされ、それから電気が付けられる。 「座れ。」 「はい…」 重い腕を動かしながら目を擦り、薄く開けた視界の中に見えたのは金髪。それはリツだった。 「所ちょ…おかえりなさい…」 ソファからゆっくりと身を起こすと、吾郎は背を向けてシンクでコーヒーを入れる準備をしていた。 「あ…俺やります…」 本来ならば雑用は要の仕事であるので、客が来ているときは尚更と要はソファから立ち上がる為に足を付いた。 「いいよ、寝てな。」 思ってもいなかった吾郎の言葉に、要は理解するのに暫くの時間を要した。 やがて吾郎の気遣いが分かりソファに座り直すと、壁に掛けてあるアナログの時計を見上げる。 時刻は夜の8時。 帰って来てから5時間近くはあの場で眠っていたことになる。 体に溜まった眠気を欠伸で放出すると、要はようやく目の前のソファに腰を下ろしているリツに目を留めた。 何故、リツはここにいるのだろう。 それ以前に吾郎とリツがどのような関係にあるのか要はまだ分からずにいた。 やがて吾郎が3人分のカップを持ってやってくると要の隣に腰を下ろす。 1つを要の前に、そしてもう1つ、来客用のカップをリツの前に差し出す。 「食事はしたのか?」 「あ、はい。昼飯は食ったんですけど、そのままさっきまで寝てもうて…」 勿論つかさと一緒に食事をしたと付け加えると、吾郎は苦笑を浮かべ、要の頭を乱暴に撫でた。 もしこれで食べていないと言ってしまった場合、勿論吾郎に叱咤されるだろう。 ただでさえ昨日の件で吾郎が不機嫌であった事は要にも分かっていたので、怒りの矛先を向けられなかった事で要は安堵の息を漏らす。 「さて…」 要の頭から手を下ろすと、吾郎はゆっくりとリツに向き直る。 吾郎が口を開く前からリツの顔色は悪く、礼儀正しく足を揃えて座っていたかと思うと、膝に置いた両手が小刻みに震えていた。 ふうっ、と吾郎が煙草の煙を口から吐く声が聞こえる。 要にとってはそれはいつもの光景なのだが、その吾郎の行動一つ一つにリツは肩を震わせ身を縮ませる。 「昨日何が起こったのか話してもらおうか。」 静か過ぎる室内には、煙草の灰を灰皿に落とす音さえも良く聞こえた。 「は…い…」 リツがその一言を口にするだけでも、カチカチと歯の鳴る音がする。 これだけでもリツが吾郎を畏れているという事は分かるのだが、要ですら吾郎にここまでの恐怖を抱いた事はない。 確かに、つかさに関しての吾郎の過保護振りは異常ともいえる程で、つかさから目を離した事で生じるペナルティについては要もこれまでに経験していた。 しかし、今隣にいる吾郎を要は『知っている』。 兄としてつかさを心配するが余りの吾郎のこの怒りを要は今までに何度も見てきている。 『慣れる』事は油断に繋がる。 だからこそ要は毎回の吾郎の説教を真摯に受け止めているつもりではあるが、そんな要から見てもこのリツの畏れようは異様なものに見えた。 自分がリツと同じ立場であったとしたら、やはり同じように萎縮してしまうものなのだろうか。 今現在リツと同じ立場でない要にはリツの気持ちを窺い知ることは出来なかったが、リツが吾郎を畏れるその様は、今思うと懐かしい中学時代のようだった。 つかさと要の出身校である中学は、今ではもう見ることの出来ない体罰にて生徒を従わせる教師と、校則が厳しいことで有名だった。 どんな荒れた生徒でもその教師の前では縮こまり大人しくなってしまう。 要は今まさにその光景を目前としているような気がした。 例えばもし、吾郎につかさの事が好きだと伝えたら。 いや、伝えなくても吾郎は既に気付いているかもしれない。 それでももし、要が自らの口からそれを伝えたとしたら。 今のような怒りは目に見えている。 その時自分はリツと同じように萎縮してしまうのだろうか。 要が頭の中で思考を廻らせていると、リツが強張った表情で胸ポケットから一枚の紙を取り出した。 その紙はB5サイズを四つ折にしたシンプルなもので、テーブルに置かれたその紙を吾郎は手に取る。 手紙のような複雑な内容では無かったらしく、吾郎は一目内容に目をやると片眉を上げ、隣に座る要へとその紙を見せた。 吾郎が手にしているその紙を覗き込むと中はとてもシンプルなワープロ文字で一言 『店を辞めろ。』 と、そう書かれていた。
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