1.行列と高級食パンと蜂蜜バター

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1.行列と高級食パンと蜂蜜バター

『君と食べる食事はいつだって嬉しい』    待ち時間一時間……。  朝イチから行ってこの行列……。  食パンを求めて並ぶ長蛇の列にくらりとする。  俺は食パン専門店なんて言っても食パンしか売ってないなら朝から行けばラクショーだろって舐めていた。  通販もしていない店だし仕方がない。大人しく列に並ぶ。  俺自身はカップラーメンとバーガー屋と牛丼屋があれば生きていけるが、今日買うのは俺のためじゃない。  ……長年片想いを拗らせている友人への貢ぎ物なのだ。  友人は出不精を極めし者だった。    周りから評判の美少年だった彼との付き合いは、かれこれもう20年になる。  え、もうそんなになるのか!?  小学校の2年生の時からだから……まぁ、そのぐらいになるのか。  彼は一言で言えば華奢で可愛らしく、そして頭脳明晰で……口が悪かった。    そんなところも好きだなとは、拗らせすぎて末期だなとは思うけれど、まぁ、そんな賢く口が悪い美少年はそれはそれは周りから浮き、手を出されれば何百倍にも言葉で返し、とっとと通信制の学校から飛び級して海外の大学まで駆け抜けてしまった。  美貌と人嫌いに磨きをかけた彼は日本に帰ってからは専ら在宅ワークにてプログラミングやら特許やらで俺の何倍も稼いでいる。  そんな彼が日本に帰ってきた理由はただ一つ。  向こうの食事が合わなかった……ただそれ一点に尽きる。  え、そんな理由で!? とは再会した時に思ったが、彼にとっては死活問題なのだと言う。  ただ旨いものが食べたい。  その一点だけは、彼は妥協しなかったのだ。  つまり、その一点だけが……彼が気を許してくれる瞬間だと言うことだ。  なんとか目当ての食パンが買えて、彼の住むアパルトメントにたどり着いた。 「伊達ー、俺だ」  返事はない。無視しているようだ! 「伊達ー……匠の食パン『ふわわ』のパンだぞー」  ピピッとエントランスが開く。  これだもんなー。あいつの中では俺は買い出し袋に足がついているようなもんだもんなー。 「遅かったな」  長い髪を一つに結び、後ろに流している美貌の男は眉を少しだけ歪ませていた。 「ほい、食パン」 「良し。良い香りだ。もう帰っていいぞ」  これだよ! このつれなさだよ! 好き!  じゃなかった。調教され過ぎだろ俺。 「ま、ま待て、せめて一口」 「電子通貨でいいか?」 「宅配じゃないんだよ!?」  いつものやり取りの後、少しだけドアを開けてくれた。    よほど待遠しかったのか、ダイニングにはカラトリーが並べられ、懐かしいトースターも用意されていた。 「おっ! これってセットして時間になるとパンがぴょこりと飛び出して来るやつ?」 「ああ」  テーブルの中央には通販で取り寄せたのか、高級蜂蜜や特製バターなどが並べられていた。 「今日はこの食パンを究極に味わう為に、色々と取り寄せてみた」  ……よかった。火曜日くらいに週末何食べたいかとリクエスト聞いておいたが……これで食パンを買えず、手ぶらか別の代替品だったら、もう部屋に入れて貰えなかったかもしれない。  まずは食パンを切ってそのまま齧る。  ほう、対面から吐息が溢れた。 「香りが違うな。それに食感がもちもちだ。生地の配合率が違うのだろうか。弾力があるのに気付けば口の中で消えている。なんてことだ」 「ふーん、あむ」 「おい折角だから味わって食べろ。勿体ない」  旨い!! しかわからない。  伊達はもう一口、小さく口を開けて食べる。  あぁ食パンの耳になりたい……なんて思ってしまう。末期だ。  伊達は美食家だが食が細く、あまり量は食べられない。  だから稀に残飯処理係りとして俺が呼ばれる。  ……いや、呼ばれるだけマシとか思ってないよ。まじで。    次はトースターにかけたパンが焼けるまでの間、俺は彼の食べきれなかった食パンを片付け、彼はテーブルに瓶とスプーンを用意していた。 「レンゲにアカシア、巣入りの蜂蜜に、みかんなんてものも用意した。こちらは幻と呼ばれるニホンミツバチだけの蜂蜜だな。後こちらは輸入品」  すごい熱意だ。絶対に彼だけでは消費し切れないだろう。そんな熱心なところも好き。 「海外のより国産の方が良いんじゃねーの?」 「そうとも言えない。蜂蜜の水分量は外国産蜂蜜の基準が21%以下に対して国産蜂蜜の基準は23%以下だからな。ヨーロッパが産地の蜂蜜の方が濃厚に感じられるものも多い」 「ほへー」 「次にバターだが、今回は乳に拘ってみた」 「ちち」 「牛とヤギと羊だな。ヤギなんぞ乳1Lから20gしか取れないからかなり珍しい」 「取り寄せたんだ」 「ああ。調べたら国内で生産している牧場があったからな」  すごい熱意だ。  そうこうするうちに、パンがぼふっとトースターから吐き出される。  伊達はそれを細くしなやかな指でテーブルの上のシートに載せると、細長く切っていく。 「柵状にした。それぞれの瓶からスプーンですくってかけて食べるぞ。いいか、絶対に横着して瓶にパンを浸すなよ」 「へい……」  伊達は最初にレンゲ蜂蜜をかけて食べる。 「あぁ、甘味が良い。染み渡る……」  俺も真似してレンゲをかける。 「う、旨い……!!」  次はアカシアだそうだ。 「あぁ、この上品な味わい……癖がないから食べやすく、爽やかだ……」 「う、旨い!!」    それからも伊達は一つ一つを食べては感想をこぼした。  俺は、旨い、旨すぎる、御代わりしたいやつだ! なんて本当に小学生の感想のようなものしか出てこないけれど、味わった。 「……」  伊達がバターまでたどり着かずに腹が膨れたようだ。  でしょうね。  俺はヤギのバターを熱々のトーストに掛けて、熱でトロリとしたところで彼に手渡す。  小さくかじって「なかなか癖があるな」と彼は告げた。  残りは俺が食べきる。  伊達は徹底的に調べる。購入する。食べる準備をする。食べて満足して後は熱意を失うので、それぞれの瓶を片付けてカラトリーや皿やトースターを仕舞うのは専ら俺の仕事だ。  伊達はソファーで寝転がっている。 「いつものように食パンの残りはパントリーに。蜂蜜とかは俺が持って帰って、お前んところのおばさんとねーちゃん所とかにお裾分けで良いか?」 「ああ、カナダ産の蜂蜜だけは残しておいてくれ。それ以外は任せる」  この出不精の様子を伝えついでにおばさんの所に持っていくか。  うちのねーちゃん所にはちみっこたちがいるから、ホットケーキに掛けたら喜ぶだろう。  恋人にはなれなくても、友達には……いや下僕ぐらいには思ってくれたら……なんてな。 「あ、そうそう来週から大阪なんだけど食べたいものは……」 「お好み焼き、生地を食べ比べるから買ってこい。ついでにソースもだ」 「良いけど週末に送るから受け取ってくれよな」  ぴくりと伊達の眉が跳ねる。 「着払いか」 「いや、ちゃんと元払いだって! そうじゃなくて、来週からしばらく大阪だから来れなくなるって話」  あーもう、やだよねー。大型の企画ってことで二、三ヶ月は帰れないって。  ……まぁ、この出不精からすればふーんって事だろうけど。  持って帰る蜂蜜を紙袋に入れていると、伊達がソファーから起き上がった。 「成実」 「ん? どした」 「残飯はどうすればいい」 「いや、買いすぎなければ良いと思うけど」 「残飯処理器がなければ、食材が余る」 「薄々お前が俺の事を残飯処理扱いしてるのわかっていたけど、言い方!?」 「いつも、お前のせいで二人分注文する癖になっている」 「あ、お前食材が入ってるセットのやつを注文してるもんな」  一週間の献立が注文できるやつ。  伊達が何かを言おうとして、口を開けるが言葉は出てこない。  はー。人間嫌いな彼が、部屋に入れても良いと思えるほど、やっと“友だち”という名称を手に入れたのに。  俺の心はなんでこんなに欲張りなんだろう。  俺の心が彼が愛しいと怒鳴り始めてきた。  まぁ、いつものようにニカッと笑って心を抑えるんだけどさ。……慣れたものだよ。 「一大プロジェクトだから、二、三ヶ月かかるみたいだけど、土日は極力帰ってくるから、大阪の土産楽しみにしていてな」 「……ああ」  今は、もうこれだけで十分だ。  胸が詰まる。彼と過ごせる幸せに。  週末は美味しいものを買って彼の元へ行こう。  まだこの関係に名前は付かないけれど、俺はこの時間が何よりも好きだ。  
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