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朔は俺のことはお客様扱いで、どんどん肉や野菜を焼いては持って来てくれた。もしかしたら俺を休ませるつもりでここに連れて来てくれたのかもしれない。
そう思うとじんと朔の優しさが身に染みて、嬉しかった。冬の寒い空気の中、煙と二人の吐いた息が白く立ち昇る。この雄大な自然の中世界でふたりきりのような錯覚すら起こしてしまいそうだ。
「僕は好きで人のいる都心に住んでいるけど、田舎だったら人が少なくて、人の声が聞こえなくなるのかな。君はどう思う?」
「……そうかもな。朔は人の心が読めることあまりマイナスに感じていないようだけど、人里を離れたりする気はないのか?」
「家にずっと籠っていたことはあるよ。誰の声も聞こえないように、それこそこの辺りに別荘を借りた。でも……結局さみしくてね。なあんにも解決しなかった。孤独だもの」
「……朔」
こんなの、子どもみたいだと思う。
不意に触れたくなって、でもそんな勇気はなくて俺は朔のコートの裾を掴んだ。その意気地のない手を朔が捕まえて、コートの大きなポケットの中に入れてくれた。じんわりと温かい。
「どうして好きだって言ってくれないの? 僕のこと、本当は怖いんじゃない?」
「……そういう訳じゃ」
俺は首を振った。この関係に名前を付けてしまうのが怖くて、俺は朔から逃げている。
「誰かといても僕が僕じゃない気がして、ひとりでいた方が楽なことも沢山あるけど。でも君が笑うと嬉しいし、君が泣いたら悲しいよ。君の心に傷付くこともあるけど……君となら、傷ついてもいい」
どんな告白よりも、どんな誓いよりも胸に響いた。朔の言葉は本物だ。どんな宝石よりも値打ちのある、本当の言葉だ。朔の心にはダイヤモンドのような純真な想いが光っている。
「朔、俺は……お前のこと、」
朔は、別に俺のものじゃない。だからずっと俺の傍にいる訳じゃない。俺はそんなことすら分かっていなかった。一番大切なことを言わないまま、新芽のように柔らかい恋の季節が過ぎ去ろうとしている。
「よっちゃん。僕、フランスに留学に行くんだ」
朔が泣きそうな顔をして言った。
「……は?」
フランス? いつ? どれくらい?
聞きたいことは山ほどあったのに、何一つ言葉にならなかった。ショックで。
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