悪魔の子

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「この国は法治国家で、民主主義が基本にある。多数決で多かった方が正義なんだ。外科医として多くの人を助けてきたけれど、その反面で何人もの人を殺してきた奴の息子、家族なのだからそいつらも全員悪魔だ。100人に聞けば大多数の人たちがそう答えることだろう。それが民意だと______。みんなで賛成していればすべて正しい……だから、みんなで殺人犯の家族を村八分にしたことだって正しいわけだ。僕たちを寄って集って様々な方法で袋叩きにしたことだって“民意”だから正しいってなるわけだ。この世の中で一番の悪魔は、『強大に膨れ上がった民意』だよ。自分が善良な市民だと思って決して疑わず、煙たいものが現れれば民主主義に従ってその煙たいものを寄って集って袋叩きにしてしまう善良な市民たちなんだ」 左門寺はその説明を含め、善良な市民は“悪魔”だと断言したのである。考えてみると、この国の“民主主義”という考え方は、少し偏っているとも思う。どちらが正しいのか、どちらが悪いのか、確固たる証拠もない場合でも多数決が行なわれ、少数派は問答無用で排除される。そのやり方も多種多様である。今回の左門寺が話していたことのように、村八分のように世の中から締め出され、それを自ら命を絶ってしまうところまで追い詰めてしまうようなことも許されてしまう。たしかに、自分で自分の命を絶ったわけだから、その“善良な市民たち”は我関せず、相手が勝手に死んだのだと言い逃れしてしまっても仕方ないかもしれないが、そこまで追い詰めたのは間違いなく“善良な市民たち”なのだ。 そう考えると、左門寺のこの熱のある説明にも頷ける。幸守はただ黙って彼の話を聞いていたわけだが、自分が犯罪捜査をする上でこれまで貫いてきたことを彼に話した。
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