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ゲレンデへの思い
「こんなところに、スキー専門店があるなんて ───」
ビルのショッピングモールの一角が、スキーウエアで埋め尽くされていた。
「私ね、あまり上手ではないんだけどたまにスキー場へ行くの。
東京で暮らしていると、息がつまりそうになって」
しみじみと愛が言うので、スキーに行ってみたい気分になってきた。
「私も買おうかな」
「じゃあ、良いウエアを見つくろうわ」
いくつか手に取って、品定めを始める。
「今の流行はアースカラーとパステルカラーね。
デザインはアシンメトリーでシェイプラインが入った感じで ───」
「へえ。
けっこうかわいいデザインもあるのね」
雪のゲレンデに映えそうなウエアーだった。
正直、スキーウエアなどこだわって選んだことがない。
「毎年買い替えるわけじゃないからなあ」
「アースカラーもパステルカラーも、無難な色だしこの中から色みを選んだらどう」
好きな薄ピンクで、すこし温かみのあるオレンジがかった色にした。
「あまり行ったことがないのなら、板とストックはレンタルでいいわね」
スキーショップであれこれ悩んでいたら、かなり時間がたっていた。
外に出ると初夏のような陽射しが眩しい。
まっすぐに伸びた歩道が、白く輝いて見えた。
ふと目を落とすと、ハンドタオルを見つけた。
青地にチェック柄。
落ち着いたグレイッシュの印象。
男物のようだった。
「ああ、すみません。
落してしまいました」
5メートルほど前を歩いていた男が振り向いた。
後ろポケットをたたいて、照れ隠しのように白い歯を見せていた。
留依は差し出して、笑顔を返した。
「陽射しが眩しいなって、下を見てたんです」
男は笑ったまま受け取り、頭を掻いた。
「川北 留依さんですよね」
名前を呼ばれて驚いた。
顔は固まっていたが頭はフル回転した。
毎日この辺りを歩いているから顔見知りの可能性はある。
でも名前を知っているとなると ───
「㈱太田洋商事監査部の田口 陽介です。
顔くらいは知っててくれると思ったんだけどなあ」
「ごめんなさい。
社長秘書の川北です」
「お互い、休日でも名刺を持ち歩いてるなんて仕事熱心ですね」
またキラリと歯を見せて笑う。
春の日差しを受けて、妙に輝いて見えた。
少しホッとして、3人並んで歩きだした。
「今日はどちらへ」
「香坂さんが、スキーウエアを見たいって言うので、一緒にショッピングに来たんです」
「ああ、それで ───」
ショップのロゴが大きく描かれたショッピングバッグを2人とも下げていた。
田口は青いシャツにジャケット、グレーのパンツを着こなしていた。
3人とも若いので、休日に六本木を歩いていても違和感がない。
だが、何か腑に落ちない点があった。
「田口さんって、休日も職場の近くにいることが多いんですか」
自嘲気味に自分に投げかけた疑問だった。
「ん、まあね」
あいまいに答えると、地下鉄駅に降りていった。
皆社宅住まいということで、一緒に帰る流れになった。
自炊してるとか、いつも何を作ってるとかたわいない話をするうちに社宅前に着いた。
田口の部屋は少し離れた所にある5階建ての建物だった。
「じゃあ、僕はここだから。
会社で会ったら、挨拶くらいしてよね」
また笑顔を見せた。
「うふふ」
意味ありげに笑い返して手を振った。
「ねえ、愛ちゃん。
田口さんって何かあると思わなかった」
「─── ほほう。
興味深いですね」
少しおどけて見せた。
その夜は留依の部屋で少し話してから帰っていった。
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