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 学校の帰り道、自転車に乗っているとバイオリンケースを斜めにかけたカズオが歩いていた。私は後ろから声をかけると、カズオはどこから声が聞こえているのかわからない様子で首を回して周囲を確認し、私の姿を認識すると驚いた顔をした。 「ちょっと城山公園まで行こう。天気いいし。ジュースおごるから、自転車の後ろに乗せてくれよ」とカズオは言った。川沿いの道で自転車を止めて立ち話をしてると生暖かい風が顔の横を通りすぎていく。 「いいけどさ。何にも予定ないし。カズオはバイオリンの練習は今日はないの?」と聞くと、カズオは、今日は自主練なんだと言った。 カズオはすらりとしていて背は高く、整った顔をしていると私は思っていた。なぜこの世飲んで行動を共にし始めたのかは覚えていない。ただ何となく女子のグループに入りそびれた私はカズオとフウタ、タカオの三人と行動を共にすることになった。なんとなく居心地がよい四人だった。 「自転車の後ろに乗っていいか?」といってバイオリンを肩に斜め掛けにしたままカズオは自転車後部のわずかな凸部に足をかけ、私の背中に両手を置いた。私の方に置かれたカズオの手は大きく骨ばっているのがわかった。ペダルに足をかけて漕ごうとしたが、重くて一歩も足がでない。 「一回降りて勢いをつけてから俺が乗るからさ。ちょっと一回降りるわ」   私の一歩が漕げないことを察してカズオは自転車を降り私の一漕ぎに合わせてカズオは再び凸部に足をかけ私の肩に手を置いた。 「よし。それではお願いします。」  漕ぎだすと車輪は勢いをつけて回り始めた。べとっとした春の風が、動き出した自転車の勢いでさらりと流れる。やっと遠くの景色に目が慣れてきた。散り始めた桜は新緑の葉を見せている。 「なんで公園に行こうとしたの。」と私が聞くと、まあねー、なんとなくさーとカズオはお茶を濁した。数分漕いでいただろうか、カズオが私の三つ編みにまとめたおさげの髪を軽く引っ張った。 「いたっ、何?」と私が声を上げると、なんでもないよをカズオは笑った。カズオが笑うのは珍しいなと思った。公園はもう少しだが最後の坂が目の前に迫った。いつの間にか周囲は静かな木々で覆われた細い道路になっている。城山公園は山の上の公園だった。ふっとペダルが軽くなり、後ろから背を押される感覚があった。背中を押されてじっとりと汗ばんだ背中の汗をカズオに感じ取られたらどうしようと私は緊張した。 「ありがとう。もう押さなくて大丈夫だよ。私もおりて自転車を押していくから。」と言い、私は自転車を降りようとしたが、カズオはまだ押してくる。もう頂上の公園に着いた。 「着いた着いた。ありがとさん。」とカズオが言う。 私はふーっと息をつき、自転車を止めた。カズオが私の隣で私がカギをカチャカチャとかけてカギをかけている様子を見ている。私はみられていることが恥ずかしくて、カギをかけるだけなのに妙に時間がかかってしまった。カギをかけ終えると、私達は数m先の自動販売機に向かった。 「好きなの選びなよ」と言い、カズオは三百円を入れると下を向いて頬をポリポリと書いた。気障な素振りをするときにいつもカズオはそんな素振りをすることを私は気づいていた。 「ありがと。これにする」と私はスプライトを選んだ。カズオはホットコーヒーを選んでいた。この暑いのによくやるなあと私は妙に感心した。私達はそれをもって公園内の周遊散歩道を歩き、見晴らしのよい西側の斜面のベンチに座った。 「自主練するかな」とカズオは誰にいうでもなく口に出すと並んだベンチの一つにバイオリンを置きケースから弓とバイオリンを取り出し、調弦を始めた。四時過ぎの公園には私達以外誰もいない。カズオの調弦するAとDの和音の澄んだ音だけが閉じた公園内に反響する。ほどなくしてカズオはバッハのアンダンテを弾き始めた。静かな立ちあがりである。きびきびとしたリズムで細かく弓が上下し硬質な音を形成する。音楽のことは私にはよくわからないが整然とした規則正しい調べが続く。過去にカズオのバイオリンの発表会に行ったことがあったがその時とは違う曲だということだけは把握できた。あの時はタカオやフウタに誘われて、ちょっと様子でも見に行こうという、物見遊山的な気分で二人についていったものだ。演奏が始まるとさすがに二人とも静かに聞いていたがカズオの楽屋に来て、騒いでいると私もその二人に加えられてしまっているのではないかと恥ずかしい気持ちになった。ただ、二人から誘われないと演奏会に来る理由もなかったので、それはそれで二人には感謝していた。カズオの演奏を聴くのはそれ以来である。  公園のベンチステージの小さな演奏会では大きな盛り上がりを迎えて曲は終わった。カズオが仰々しく弓を天に向けている。その恰好で右腕と弓を上げて固まっているため、これは私が拍手をしないとこの小さなステージが閉まらないと気を利かし、私は小さく手を鳴らした。カズオは気障にバイオリンを持った手を挙げると、ベンチに腰を下ろした。五分ほどの消極だった。バイオリンをケースにしまい、今日は終わりだなとカズオはつぶやいた。木々の隙間から西日が私達を照らしている。 「前聞いた時より上手になっているね」と私が言うとカズオはうれしそうに笑った。 「今度他県に引っ越すんだ」ぽつりとカズオがいった。 「だからもう皆には会えないな。ミウミには先に伝えておこうと思ってさ。ちょうど今日会ったから。話しておこうと思って、公園まで付いてきてもらった」  なんと、と思い一瞬変な顔をしてしまったかもしれないが、気を取り直して冷静に私はこう返答した。 「そうかー。ご両親の仕事の関係?」 「まあ、そんなところだな」  この四人の集まりがなくなり、会話がなくなってしまうのかと思うと、やはり寂しかった。 「今日の演奏はミウミへの餞別だな」とやはり気障にカズオは笑ったが、私はうまく笑えていただろうk。 「じゃあ。私帰るね」そういって飲みかけのスプライトを一気に飲み干して、むせかえりそうになったが、そ知らぬふりをして自転車置き場まで走って行った。 「じゃあね。ジュースありがとう」私はうつ向いたまま駆け出し、街路樹にぶつかりそうになった。空き缶を捨てるとさっと自転車にまたがり、上ってきた道をさっそうと下って行った。あのままベンチに座っていたら泣き出していただろう。おそらく号泣してカズオを困らせてしまっただろう。ただ、自転車にまたがって坂を下る私はもう号泣しているのだった。出始めた涙は止めどなく流れ落ちる。眼鏡に涙がくっついて自転車の風ですぐに乾き、視界はとても悪い。坂を下りきったあたりで、あの大きな袋のような鞄を持った髪の長い成人女性が坂の上の公園に向かって歩いている姿が見えた。何をしているんだろう。やはり自動販売機の釣銭を探しているのだろうかと私は思った。
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