【全部、あの子の為】

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「こちら、永瀬さん」 いきなり和美に紹介され、絶句するしかなかった。 髪も抜け落ち、痩せ細り、どこからどう見ても痛ましい姿を、誰にも見られたくないからだ。ましてや異性とひどい顔色で相対するなんて──。 「香澄、本が好きでしょ?永瀬さんも本好きだから話が合うと思って」 「和美…悪いんだけど」 そこまで言って、思わず親友を睨みつけた。 私を励ますためだとは分かっているが、いくらなんでもひどくないか?せめて、治療が終わってからなら話は分かるが、私はまだ地獄にいるんだ。 しかしその時、永瀬が口を開く。 「実は、自分も大切なひとを癌で亡くして」 「えっ…?」 「元妻を亡くしたんだ」 前妻を同じく癌で失ったという永瀬と、それから細やかな交流が始まった。 とはいっても、病室を訪ねてきたのはあの一度きり。 あとはメールで、本の感想が一方的に届く。とてもじゃないが、私は活字を目で追える状態ではない。 それを知ってか知らずか、ただの世間話でもするようにメッセージが届く。 けれどいつしかそれを、待っている自分がいたんだ。 周りに「頑張れ」と励まされる中『今日は3度も道を聞かれて参った』なんていう、どうでもいい内容が心にスッと染み込んでくる。 あぁ、私もまだ永瀬からのメールを通して、世間と繋がっているんだ。 そんな風に思えたから。 そう、思わせてくれたから…。
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