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4
「兄ちゃん、ライスカレー二つ」
「はいよ」
祥太郎は手際よく皿にカレーを盛り付けると、テーブル席の客の元へと運んでいった。このカレーは朝のうちに祥太郎が煮込んでおいたものだ。客は午前中の労働でかなり腹を空かせているようだったから、いつもより多めに盛っておいた。
「おい、勝手に量増やすなよ。俺の店を潰す気か」
丈吉が厨房へ戻ってきた祥太郎の頭を小突く。
「店は俺に譲ってもいいんじゃなかったのか」
「いいや。やっぱり心配になってきた。俺もあと五十年は隠居できねぇな」
「ぜひそうしてくれ」
「お前な……。俺はお前が社長になって会社潰すような事態にならなくて心底よかったと思ってるよ」
丈吉は呆れたように笑った。
祥太郎も苦笑しながら、もう九年近くも会っていない父親の顔をぼんやりと思い浮かべる。結局、あの家で暮らしたのは一年と少しだけだった。
「……でも、俺がいなくたってこの不況じゃどうなってるかわからない。戦争は終わってしまったから」
「家族が心配か?」
「心配じゃないと言ったら嘘になるけど」
「じゃあ一度帰ってみな。何かあってからじゃ遅えんだ」
「いや。明子さんは俺の顔なんて見たくないだろうし。義一さんだって観念して養子を迎えてるはずだ。今更俺なんか戻ったってどうしようもない」
祥太郎は焼き魚を網から皿へ移しながら言った。
「……俺は最初からいない方がよかったんだ。その方が色々上手く回ったはずだ」
「まったく、いつまでそれ言ってんだ」
「事実だから」
「お前に何の罪もねぇだろうよ。……いや、前科はあるがそれはそれだ」
祥太郎は皿を持つ手を滑らせそうになりながら、どうにか焼き魚をカウンターの客に渡した。丈吉はハハハとおかしそうに笑っている。
家を出て東京に来てからの祥太郎の状況といえば、今でも思い出すだけで顔を覆いたくなるほど酷い有様だった。
まず住所もわからぬ小学生の子供に仕事なんて提供してくれる人があるわけもない。当然住む家も食べるものもないまま、三日三晩見知らぬ土地を彷徨い続けた。
「あのまま飢えて死んでしまおうと思ったんだ。でもできなかった。空腹は想像以上に苦しかったから……」
最初にコロッケを一つ盗んだ時、祥太郎の頭では、それに対価が必要なことなどもうとっくに考えられなくなっていた。
それがすんなり成功してからは、食べ物を盗むことに何の抵抗もなかった。これが意外と見つからない。東京の人は想像以上に他人を見ていないのだ。
初めは露店で盗んでいたが、次第に堂々と無銭で飯屋にまで入り浸るようになった。
そしてついに祥太郎は、この下町浅草の一膳飯屋『よしの』でも食い逃げを決行したのだった。
「お前、あの時はさっさと誰かに捕まっちまいたかったんだろ」
「そうだったのかもしれない」
「まったく、やり方があまりに露骨なもんだからこっちも腹が立ってな……」
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