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 玉鈴の使う関西弁は、大阪や京都のものとは雰囲気が少し違うらしい。聞いてみれば、神戸から来たのだという。  祥太郎は神戸どころか、ここ浅草と幼少期を過ごした横浜以外の地を知らない。けれど特急列車で十二時間以上と聞けば、きっと途方もない距離なのだろうと想像することはできる。 「ね、兄ちゃんの名前教えて」  玉鈴は祥太郎を見上げてニコニコと口角を上げている。  話してみれば、彼女は案外人なつっこい。 「祥太郎」 「ショウタロウ」  玉鈴は文机の引き出しから鉛筆とノートを取り出した。  そして祥太郎に向かって差し出してくる。これに名前を書けということだろう。  祥太郎が自分の名前を書き終わると、彼女は「おお」と感嘆の声を漏らす。 「これが兄ちゃんの名前なんやね。『祥太郎』兄ちゃん」  そう言うと彼女は鉛筆を手に持ち、祥太郎が書いた文字の下に、一画一画丁寧に彼の名前を写し取っていった。  その字はお世辞にも上手いとは言い難かったが、祥太郎はそのときはじめて、名前が己のものとして立ち上がってゆくような不思議な感覚に包まれた。  名は体を表す、とはよく言ったものだが、彼には「祥」なんて内側から祝福のあふれてくるような漢字を使ったこの名前が、自分を表すものだと到底思えたことはなかったのであった。 「うちね、文字なんて書けへんし読めへん。せやから下手くそなのはかんにんしてや」  彼女は恥ずかしそうに頬を染めて笑う。 「でも祥太郎兄ちゃんの名前、ちゃんと書けるように練習しとくから」 「……ありがとう」  この縁も今日限り、もう次に会うことはないというのに。  祥太郎は何に対しての「ありがとう」なのか自分でもよくわからないままに、彼女の手から再び鉛筆を借りた。 「玉鈴さんの字はこれで合ってるか?」  祥太郎はノートに彼女の名を書く。 「……う、うん、()うてるよ」  彼女は興奮した様子でずいと身を乗り出した。 「なぁ兄ちゃん。『カヨ』って書いて」 「……平仮名?」 「たぶんそう。あっ、ちゃうちゃう、片仮名やった。そう、それや!」  彼女はノートに綴られた自分の本名を眺めて、キラキラと瞳を輝かせている。  その高揚ぶりは、まるでそれに初めて出会ったかのようにすら思えるほどだ。  そんなことを考えていると、彼女は祥太郎を振り向き、少しだけ眉を下げて笑った。 「この名前で呼んでくれる人、もう誰もおらんから」 「でも気に入ってるんだろ」 「そりゃ父ちゃんと母ちゃんに貰った名前やから。でももう二人ともおらんし、東京(こっち)来てから身よりもおらんし。ここではうちは『玉鈴』やから、もうほんまの名前知ってるんはうちだけよ」  彼女は再びノートに視線を落とすと、柔らかに微笑む。 「兄ちゃんも自分の名前、好き?」 「俺は……」  祥太郎は薄く笑って、それからあいまいに頷いた。
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