エピローグ

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エピローグ

 昭和二年某日、浅草。  カウンターの隅に置いたラジオから流れる天気予報に耳を傾けながら、祥太郎は昼の開店時間へ向けて料理の仕込みを始める。  “えー、午前中は晴れ間が広がりますが、正午を過ぎると次第に雲が広がり──”  天気の悪い日は客足が遠のく。けれど祥太郎の店に来る客は多くが常連の労働者たちだから、それほど大きな影響はない。当然ながら労働は毎日変わらずやって来るものなのだ。  “夕方頃になると大雨が降るおそれもあるでしょう。おでかけの際はどうぞ傘をお持ちになって──”  はた、と包丁で野菜を切る手を止めた。  しまった、彼女は傘を持っていなかったはずだ。  夕方には店を閉めるため、その後市電の駅まで傘を持って迎えにいこう。──無事に会えるといいのだが。  やがて開店時間になって、ドアの前で待っていた客を店内の席へ案内する。  今日は祥太郎が一人で店番をする日であるため、メニューは少な目、というか二種類だけだ。こういう日は大体二種類のメニューを日替わりで出している。  来れる日は菊代が店を手伝いに来てくれるのだが、いつまでも彼女に頼りきりというのも不甲斐なく、かといって別に従業員を雇う余裕はまだない。  祥太郎が浅草の、再建された吾妻橋のたもとに再び店を構えることができたのは、今からおよそ半年前の話である。  かの大震災以降、祥太郎はカヨの協力のもと、避難者のいる地域に出掛けて度々炊き出しを行った。それが被災者にとってどれほどの意味を成したかはわからない。けれど彼自身が先の見えない不安を抱える中、それは確かに生きる光明となり得た。  そして復興の進んだ浅草の、かつて一膳飯屋『よしの』があった場所で再び店をやろうと決めた時、祥太郎のもとへ決して少なくない金額の支援が届いた。それはかつて炊き出しの場で出会った人々が『あの時のお礼に』と持ち寄ったものだった。  客の中には震災前からの常連も多くいる。話を聞けば、やはり一旦は浅草を離れ別の土地で避難生活を送っていたようだが、再びこの地に戻ってきたようである。  彼らは丈吉の死を知りずいぶん嘆き悲しんだ。  祥太郎はそんな彼らの様子を見るにつけ、まともに料理が作れずすべてを菊代に丸投げしてしまったこともあった。  以前と同じ場所で店をやれば常連客が戻ってきてくれるかもしれない。それを誰より望んでいたのは祥太郎自身であったのだが、どうやったって自分が丈吉の代わりにはなれないこともまた、誰より理解していた。  それでもどうにかやってこれたのは、他でもない菊代と、祥太郎自身の料理を褒め、昼からの活力になったと笑顔で帰っていく客たちと、それからカヨのおかげである。  現在祥太郎は、カヨと店の二階にある居住スペースで二人暮らしをしている。  彼女には当初、親の遺した莫大な借金が残っていて、どうしても自分一人で返済すると言って聞かなかった。二人で協力して返そうと思っていた祥太郎は、彼女にどうやって返済するつもりなのかと問い詰めたのだった。 『また身体でもなんでも売ればええ』  彼女はキッパリと言い放った。  この時ほど己の無力を感じたことはなかった。祥太郎は思わず彼女にきつく当たり、しばらく喧嘩のような状態になってしまった。  そんな折だった。予想だにしていなかった人物が祥太郎のもとを訪れたのは。
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