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一方、ミチは横浜市街を外れ、小さな漁師町に潜んで祥太郎を育てていた。
彼の養育費のため、できる仕事は朝から晩まで何でもやった。それは周囲の住民が心配になって度々親子の様子を見にくるほどの働きぶりだった。
本来なら彼が歩んでいたはずの華々しい未来を、自らの手によって奪ってしまった。そんな罪悪感と、せめて金銭面では不自由な思いをさせるわけにはいかないという責任感に、ミチは雁字搦めになっていた。
それから十年。祥太郎が町の小学校へ入りしばらくした頃。
ついにミチは過労で倒れ、そのまま帰らぬ人となった。
ミチが亡くなってすぐ、祥太郎の元を訪ねてくる人があった。義一だ。
「俺はきみの父親だ」
祥太郎ははじめ、彼が何を言っているのか分からなかった。
一度だけミチに父親のことを尋ねたことがあったが、彼女が苦しげに顔を歪めるのを見て、もう口にはするまいと決めていた。
「きみには苦労をかけた。でももう大丈夫だ。一緒に帰ろう」
「どこへ?」
「きみの本当の家へだよ。母さんや姉さんたちも待っている」
「母さんはもう死んだ。……俺のせいだ」
「きみのせいな訳があるか」
「俺が生まれてこなきゃ母さんがこんなに苦労する必要はなかったはずだ」
「そんなことを言うな。子供というのは親にとって宝物のようなものなのだ。ミチにとっても、もちろん俺にとっても」
「…………」
「さぁ、帰ろう。お前は俺の大事な長男なんだ、祥太郎」
義一は手を差し出してきた。祥太郎がその手を取れないでいると、義一は困ったように笑って「おいで、腹が減っただろう」と先に歩き始めた。
自分を連れて帰ったってきっといいことなんてないのに。そう思いながら渋々彼の後を追う。
死ぬぐらいなら自分のことなど捨ててくれればよかった。
けれども腹が減っていたのは事実だから、彼に着いていくしかなかった。そんな自分が情けなくて仕方がない。
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