1

1/2
前へ
/49ページ
次へ

1

 文明開化の五十年。千変万化(せんぺんばんか)するこの国の帝都にあって、浅草は今も昔も庶民に寄り添い続ける娯楽の町である。  そんな浅草を、今夜もあてどなく歩く青年。相澤(あいざわ)祥太郎(しょうたろう)、歳は二十歳。  紺の着流しに山吹色の帯を締めている。  大正十二年、三月の終わり。ここ数日は花冷えの日が続いている。  彼は二重回しを羽織ってくるんだった、と後悔しつつ、けれども酔いを覚ますにはちょうどよい気候であるとも考えた。  祥太郎は、慶応の火事で焼けて以来再建のされない雷門を通り抜け、赤煉瓦の仲見世を北へと向かう。  浅草寺の境内までやってくれば、そこには焼き鳥やおでん、飴細工といったさまざまな露店が軒を連ねていた。  老若男女でひしめき合う露店を横目に見ながら、酒が欲しいな、とふと思ったところで、彼は自分自身に呆れかえる。下宿に戻らずこうやって夜道を歩いているのには、酔い覚ましの目的があったはずだ。  しかし誰も彼もが浮かれた夜の雑踏を歩いているのでは、酔い覚ましも何もあったものではない。実際のところ、彼はこの酔いから覚めることを恐れているのかもしれなかった。  人混みから外れて観音堂の裏手へ回り、噴水近くのベンチへと腰かける。  大きく夜の空気を吸って吐き出した。  先ほど立ち寄ったカフェーで、馴染みの女給に言われた言葉を思い出すにつけ、祥太郎の胸の内にはどうしようもなく苦いものが広がっていく。  二十四になる彼女はようやく良縁を得て、それからあとひと月もしないうちにカフェーを辞めるのだと嬉しそうに笑っていた。  再び大きく夜の空気を吸い込んで、吐き出す。  図らずもため息のようになってしまった。
/49ページ

最初のコメントを投稿しよう!

77人が本棚に入れています
本棚に追加