始まりのキス

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潤さんは私の気持ちを尊重すると言ってくれた。 でも、いつか、お互いにお互いのことを思い出して、また一緒にいたいって思う時があれば、その時は付き合えたら嬉しいとも言い、最後まで紳士の対応だった。 私は潤さんと別れて、寄り道もせずにその足で家に帰った。母に報告しようと思っていたのだ。 大切なことに気付かせてくれた母に。 そう思いながら、玄関のドアを開けたら、すぐに目に男物のスニーカー飛び込んできた。 「お母さん!」 廊下を小走りで進み、荒々しくリビングに侵入する。 が、翔太の姿はそこにはなかった。 「翔太は?」 「雫の部屋。」 「な、何しにきたの?」 私にはもちろん、一切連絡はない。 「私が呼んだの。お互いに話したいことがあるんじゃないかなって思って。」 「……私、着替えてくる。」 「ごゆっくり。」 着替えてくるのにごゆっくりだなんて。 母は全てを悟っている。私がしばらくここに戻ってこないことも。 翔太は私の部屋で、我が物顔でラグの上に置かれたセンターテーブルで、数学の問題を解いていた。 「おかえり。」 久しぶりのくせにいつもと変わらない態度。 「ねぇ、この問題教えて。」 翔太がワークの一番下の問題にシャーペンで丸を付ける。 「えっ?急に言われても……ちょっと待って。」 とりあえず鞄を下ろして、翔太の隣に座る。昔もこうやって翔太の宿題を見たりしていたっけ。 「これはね……」 ノートの空いているところに、関係図を書く。関係図さえ分かれば、解けるであろう問題だ。 「……ライブに行く。」 唐突にそう伝えた。手を動かしながら。 「デートじゃないの?」 「違う。だって別れた。」 「えっ?」 「だから、別れたって。」 「何で?」 何でって…… 「翔太と離れることが出来ないから。翔太のことを考えながら、他の人と付き合うことは私にはできない。」 関係図を書き終えて、シャーペンを机に置いてから、翔太の方を向いた。この間みたいに、膝を抱えたりせずに、背筋を伸ばして。 「でも、あのピアスは今はつけられない。でも、返すこともしない。」 「何だよ、それ。」 「翔太のことが特別なのに違いない。こんなにずっと一緒にいたんだもん。だから、今の翔太と向き合いたい。向き合って、その結果、私が翔太を好きになったらつけたい。」 翔太の気持ちに応えたい。 「分かった。」 翔太はもう俺の勝ちは見えたなって言う余裕の顔で、私の額にコツンと自分の額を当てた。 「つまり、いつ雫に触れてもいいってことね。」 「それは……」 違う!って言うより、先に抱きしめられる。もう、本当にいつの間にこんなに手が早くなったのだ!! 既に結果が見えているか見えていないかは分からないけど 「覚悟してください、お姉様。すぐに俺じゃなきゃダメって言わせてやるよ。」 耳元でそう言われて、私の下唇を翔太の親指の先がなぞる。 次に起こることは分かっていて、目を閉じたら始まりを告げるかのように、私の唇に翔太の唇が重なってキスをした。
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