どこにも行けない どこにも行かない

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伊勢谷先生と私は、狭い通路を挟んで、背中合わせの席に座っている。座ってはいるが、担当学年が違うので普段話すことは少ない。 と言うか、伊勢谷先生も私も大声で「聞いて!聞いて!」と他の人を巻き込んで、明るく楽しく話すキャラではないのもある。 でも……気付いているのだ。 私が終わりの見えない仕事を振られいること。 「コーヒー」 「えっ?」 振り返ると、黙々とデータを入力していた伊勢谷先生がこちらを向いていた。 「淹れるけど、ミルクとかいる?」 「あ、あの!私が淹れます!」 「いいよ、俺がする。」 私よりも先にすっとスマートに席を立つ。 「すみません……あの、ブラックで大丈夫です。」 「そう。俺もブラック派。」 ネクタイを緩ませて、そのまま職員室の隅にあるポットやコーヒー、紅茶、お菓子などの置かれたスペースに行ってしまう。 完璧。 何をしても完璧な男。 そして、誰に対してもこの完璧さを崩さない。 知っている。 新学期始まってしばらくして行われた歓迎会。 私はそれなりに仲の良い学年の女の先生たちと話していた。 伊勢谷先生は…… 誰もがお相手するのは大変と言う、ちょっと煙たがられている年配の男性教師と談笑していた。 仕方ないから相手をするとかとは違う。その人とたまたま隣の席だったのだ。 だから、今日はこの人と話をする。 それだけのこと。 でも、それって簡単にできることではない。話すことがないから、親しい人のところに行こうって、席を移動する人だっているのだから。
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