どこにも行けない どこにも行かない

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二人が去って、急に静かになり、私は視線を伊勢谷先生に向けた。これからどうするかと思った。 「何か食べに行く?」 目が合って、すぐにそう言われた。時刻は19時を過ぎたところ。昼ご飯の後から、何も食べていない。お腹は空いていた。 「いいんですか?」 それに、もう少し伊勢谷先生と一緒にいたいという思いもあった。 「うん。迷惑じゃなければ。」 「全然!迷惑じゃないです!」 私が間髪入れずに答えたら、伊勢谷先生は良かったと言いたげに笑みをもらした。その顔に胸をぎゅっと掴まれていた。 どうしてと聞きたくなる。どうして私に構うんですかって。 「何か食べたいものある?」 「えーっと……」 こう言う時の正答は何なのだろうか?同僚同士で行くご飯って何がいいのだろうか。伊勢谷先生は車だから飲めないから居酒屋ってわけには行かないし……。でも、気を使い過ぎて自分が食べたくないものを提案するのも違うと思う。 自分も好きで、かつ、相手も気軽に食べられて、さらに言うなれば自分がお勧めの店を知っている方がいい。 「あ!ラーメンとかどうですか?美味しいところ知ってるんです。駐車場完備なので、車でも大丈夫!」 仕事が遅くなって、帰ってご飯を食べるのが面倒な時に、いつも立ち寄るラーメン屋がある。女性の店主がやっていて、通っているうちに顔見知りになり、今では話をする仲だ。 「……ラーメン好きなの?」 伊勢谷先生の顔に失敗したと思った。驚いたような、困ったような、でも、嫌がっているわけではないような、一言では言い表せない表情をしている。てか、この人、基本、表情が読みにくい。 「すみません……晩ご飯にはイマイチですよね……他のお店、考えますね。」 「違う違う。嫌なんじゃないよ、俺もラーメン好きだから。ただ……二人目だなあって思っただけ。」 「二人目?」 「初めてご飯を行く相手に、ラーメン屋を提案した人。」 あ、まただ。 知らない伊勢谷千鶴を見つける。仕事場では知り得ない姿。そして、その姿は私の中に深く消えることのなくこびりついていく。
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