どこにも行けない どこにも行かない

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その後、私たちは話を広げることはなく、店主と3人でお店に関すること、店主がこの店を始めた理由とか、実は弟がいて、弟はラーメン屋をやっていることとかを話して、店を後にした。 伊勢谷先生は律儀にも私を駅まで送ってくれて、反対方向の電車に乗って別れた。 もう次はない気がした。電車のドアにもたれて、側頭部をドアの小窓に引っ付けた。好きには応えられない。口にはされていないけど、そう言われているのは確かだった。 でも……どうして? 女性不信だとか同性愛者だとかではない気がする。あの人の心に住んでいるものは何? 飲み会で伊勢谷先生のテーブルが恋愛の話になった時も、聞くだけだった。話を振られたら、以前、彼女はいたけど、今は全然だと答えていた。モテそうなのにどうしてって追問されたら、始まったら終わってしまいそうな気がするからって冗談ぽく言った。何か哲学ですねー。伊勢谷先生が言うと深い。なんて、周りはその冗談を受け入れて、冗談返しで感嘆の声をあげていたけど…… それが冗談ではなかったら? 始まったら終わってしまいそうって本気で思っていたら? その終わってしまうが、ただの失恋とは違うのだったら? 次に着いた駅で電車を降りていた。 スマホを開いて伊勢谷先生の電話を鳴らしていた。 だって、まだ何も始まっていない。私は、何も伝えていない。口にしなくてもこの人には伝わっていると思っていただけで。 助けてもらったお礼も、それがすごく嬉しかったことも、髪が綺麗なのが声をかけた理由で良かったって思ったことも。 そんな理由って言ったけど、もし、頑張り屋なところなんて言われたら、私は彼の前でずっと頑張り屋でいないといけないと思っただろう。 仕事に一生懸命なところって言われたら、仕事の手を抜いてはダメだって思うようになるだろう。 だから、そんな理由が一番嬉しかったんだって。 「河辺先生?どうしたの?何か忘れ物した?」 出てくれた。電話。 「今、どこですか?」 「今?家の近くの駅で降りたところ。」 「あの……会いたいです。今。」 「さっき、また月曜日にって言ったばかりなのに。」 なんて、言いながら伊勢谷先生が全てを受け入れるかのように笑っているのが分かる。 「そこで待っていて。今から行くから。」 「はい。」
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