どこにも行けない どこにも行かない

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**** 私と伊勢谷先生の関係がこの先、どこに行くのかはもちろん私にも彼にも分からない。 仕事場で仕事を助け合うこと、コーヒーを気付いた方が淹れること、時々、甘い物をくれること、仕事終わりに一緒にあのブックカフェに行くこと、そんな日常が増えていった。 一緒にいる時間の中で気付いたこと。 この人、無意識でも思わせぶりなんだってこと。 てか、観察眼がすごいのだ。できる教師はこの観察眼が発達している人が多い。この人もまさにそれ。 私が朝起きたら風邪気味で、もちろん、仕事柄、しんどい姿なんて生徒には見せられないので、いつも以上に気丈に振る舞っていたら、昼休みに呼び出された。 屋上。何でか知らないけど、この人、屋上の鍵を持っている。学校内の清掃や花壇の整備、破損部分の修理なんかを担当する校務員さんと仲がいいらしくて、もらったと言っていた。 「大丈夫?」 フェンスを背に腰を下ろしたら、開口一番がそれ。 そして、額に手をあてられる。 「熱あるじゃん。」 「ないです。37.3度だもん。」 「それ、微熱っていうんだよ。すぐ無理するから。」 そう言って、のど飴とお水をくれた。 「……なんで、風邪ひいてると思ったんですか?」 「だって、ちょっと声が掠れてるし。喉痛いのかなって。」 間違いなく朝から喉がヒリヒリしている。 「そういうの思わせぶりですよ。」 「えっ!?どこが?」 ほら、今日は無意識なんだよ、本当に性悪い。 「いいです。そう言う伊勢谷先生が良いと思ったのは私ですから。」 「君さー、あの日から自分の気持ちを隠すのやめたよね。」 そう言う伊勢谷先生は、最近、私の発言に照れたような雰囲気を見せるようになってくれた。 私はまだ知らない。 この人の抱えているもの。 大切にしてきた人。 今の気持ち。 それでもいい。伊勢谷先生がどこにも行けないって言うなら、私はどこにも行かないって決めたのだから。
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