小さな手

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❇︎❇︎❇︎❇︎ その日の午前中は塾だった。昼には家に帰ってきて、夕方から紫音の家に行く予定だった。 だったのだが、15時過ぎに母親が家に帰ってきたのだ。幻かと思った。この人がこんな時間に家にいるなんてあり得ないからだ。 母親は帰ってくるなり、俺に話があると言って、ノックもせずに部屋に入ってきた。 入ってきて、一瞬、顔を歪める。 目にベッドに置かれたギターが飛び込んで来たからだ。 「梢から困るって言われたの。」 「何の話?」 俺は一応、座っていたデスクの回転椅子を回して、ドアに立つ母親の方に体ごと向けた。 「ご近所から連絡があったそうよ。昨日の深夜に抱き合っている男の子と女の子がいるって。」 そんなことあるのかと言いたくなる。深夜2時だぞって。そんな時間に寧ろそのご近所の人は何をやっていたんだか。 「ただでさえ紫音ちゃんが学校に行ってなくて、梢は近所の人から、親失格って思われていたらどうしようって不安になっているのに、そんな時にこんな不謹慎な話……。」 何だよそれ。それって紫音の心配じゃなくて、自分の体裁を心配してるだけじゃないか。 「私も。亜貴さんに変な噂が立つのは困るの。あなたの将来に傷が付くような噂。」 「……。」 それは、その傷で自分たちの望む未来が壊されるかもしれないからだろう。 「それで、梢と話し合って、もう止めようってことになったわ。」 「えっ?」 「紫音ちゃんの家にはもう行かなくていい。だから、あなたはこの夏は勉強に専念して……それも、あなたが成績さえ残せば禁止はしないわ。禁止したら、塾を辞めると言い出しかねないしね。」 それと言った時、母は汚らわしい物でも見るように、ギターに視線をやった。 「……紫音はどうするの?これから。てか、今ここでやめたら、叔母さんの旦那さんとの繋がりが切れるけど。」 両親が困ることを口にして、この決定を変えたい。それしかなかった。 「それは大丈夫よ。紫音ちゃんが食べられるようになってきたことに、梢の旦那さんは感謝してくれたから……それに、仕事のことは亜貴さんが口出しすることじゃないでしょ。」  この人は俺に干渉するくせに、いつも一線を引いてくる。親と子どもは交わり切れないのよと言いたげに。
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