捨てられし者

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捨てられし者

 魔人を殺したとき、魔人がこの世から消えたとき、自分の役目は終わった。  人々は英雄だと讃えてくれた。だが、それだけだった。  魔人を殺すためだけに生きてきた。だから政治はわからないし軍勢も指揮できない。戦い方が特殊過ぎて、剣術さえ教えられなかった。  できるとすれば、五十年間の武勇伝をせがまれ、語るだけ。それもしばらくの間だけで、人々はすぐに飽きた。  自分はもう用済みだった。だから、ひとりでここにいる。  魔人を見上げたまま、男は滔々(とうとう)と語った。 「それでよいのか」  男の独白を聞いて、しかし魔人の怒りはまったく治まらない。世界に捨てられ、同胞たる人間どもに捨てられたというのに、なぜこの男はかような場所でじっとしていられるのか、老いを知らぬ強き魔人には理解できない。 「お前がいなければ、いまだに我が眷族たちがはびこり、人間どもは(くら)き世界に生きていたというのに。お前は――悔しくないのか」 「――悔しいさ」  初めて、男の顔に感情が浮かんだ。 「できることなら、お前との地獄のような戦いを僕ひとりに押しつけて、すべてが終われば僕を捨てた彼らに、思い知らせてやりたい。だけど、もう遅い。魔人殺ししか能がなく、しかも年老いたこの身に、できることは何もない」  男の口から、すべてを吐き出すようなため息が洩れる。 「だから、もういいんだ」  男の頬を、あふれた涙がひとすじ伝う。 「僕はもう、ここで朽ちるだけ。百年も経てば、僕の寿命もきっと尽きる。それまでじっと過ごすだけだ。殺したければ殺せばいいが、それがどれだけ無意味なことか、お前は知っているだろう」  男はすでに諦めている。この世界に居場所はなく、残された道はただ死にゆくだけと、男はすでに諦めきっている。  その姿を見て――魔人が諦めるはずがない。 「私の血を飲め」  ずいと詰め寄って、魔人は言い放った。突拍子もないその言葉に、男の顔に怪訝の色が浮かんだがすぐに消えた。  魔人を倒すため竜について調べ尽くした男は、竜の血には万病を癒す力があることを知っていた。  そして、その力があまりにも強く、人の身では到底耐えられないことも知っていた。不治の病を癒すため竜の血を口にした者は、異常な治癒力と再生力に蹂躙され、その体は引き裂かれるように弾けたという。 「そうか、まだ殺し足りないのか」  そもそも男は病も傷もなく、癒しは必要ない。つまり魔人は、竜の血を飲んで苦しみのたうち弾けて死ぬ様を見たいのだろう、男はそう思った。  その――考え違いも甚だしい男の言葉に、思わず魔人は吹き出しかけたが、どうにか抑え込んで取り繕った。 「ああ、まったく足りぬ。それとも、いまさら死ぬのが怖いなどと言う気か?」 「いや、お前の好きにすればいいさ。だけど死ぬのは久々だ。体が弾けるというのは、どれくらい痛いんだろう」 「知らんな。まぁ、お前なら慣れたものだろう」  言って、魔人は手首を爪で引き裂いた。暗い緑のとろけた血があふれ出る。  それを一瞥し、魔人は男の口を塞ぐようにその傷口を押しつけ、無理やりにその血を男に飲ませた。
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