苦しい悩み

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 カタカタとキーボードを打つ音が響き渡りはじめて30分が経った頃、休憩室が何やらざわついている様子で。耳を傾けようと一度手を止めたけど、集中が途切れてしまうことを恐れて再び手を動かし始めてすぐのことだった。 ︎もう開かないと思っていた事務所のドアが開き、勢いよく顔を上げた私と目が合ったのは、日帰りで出張に行っていた施設長だった。 「お、お疲れ様です」   「お疲れ様。いやぁ……こっちは寒いな」 「あ、あの……今日は、直帰する予定だったはずでは……?」 「そうだったんだけど、お土産買ってきたから渡しちゃおうと思って。はい、これ」  そう言ってこちらに近づいてくる施設長を見て、私はすかさず席から立ち上がる。 「甘い物好きだっただろう? もなかだけどさ」   「ありがとうございます。嬉しいです」  甘い物が好きと覚えてくれていたことが素直に嬉しかった。  差し出されたお土産を受け取り、再び頭を軽く下げた時だった。 「今日は珍しく残業なんだな?」  そう言って、施設長は私のパソコン画面を覗き込んだ。次の瞬間、表情が固まった施設長を見て、私は自然と息が止まった。  本来、この仕事は私がしてはいけない。だから見られてはいけないものだったのに、私は画面を隠す暇もなく、ただ施設長を真っ直ぐ見ることしか出来なかった。 「何で君がこれを? これはサビ管の……」  ──君がやらなくてもいい仕事。  そう言ってほしかった。  どこかそう言ってくれるって期待していた。  けれど私は、解っていたはず。  現実は、私なんかの味方なんてしてくれないって。 「いや……俺は先に帰るから。お疲れ様」  逃げるように事務所から出て行った施設長に、私は怒りなど覚えなかった。  悲しさが心を埋め尽くしていたから。  期待しただけ傷は大きくなるって解っているのに、馬鹿みたいに期待してしまう自分が嫌いで。殺してしまいたくて。私は倒れ込むように再び椅子に座った。  休憩室からはいつの間にか騒がしい声が聞こえなくなっていたことに気付いた私は、ポケットからスマートフォンを取り出し、担当医に電話をする為に電話帳を開く。担当医の名前を見つけて、勢いだけで電話をかけた。
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