思い出鑑定 16世紀フィレンツェ

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思い出鑑定 16世紀フィレンツェ

 紅柄耀(べんがらよう)は、仕事道具である銀色の取っ手がついた拡大鏡をカウンターの内側から取り出した。  目の前に置かれたアーミラリ天球儀にその拡大鏡をかざすと、「それでは、行きます」と独り言が漏れる。  レンズ部分が白く光り出したと思うと、アーミラリ天球儀から細かな光の粒が炭酸水の泡のように湧き出している。  次の瞬間、店内は真っ白な光に包まれ何も見えなくなっていた。   ***  耀(よう)佐久(さく)は視界に飛び込んできたフィレンツェの景色に言葉を失った。  窓から見えるその景色は、赤茶色の屋根、壁は黄色、窓枠は緑色に統一された秩序正しい街。  その中で、丸屋根(クーポラ)が美しいドゥオーモ、「花のマリア教会<サンタ・マリア・デル・フィオーレ>」がひときわ存在感を放っている。  ドゥオーモが完成したのは1461年、15世紀。つまりそれ以降の時代らしい。 『結局、これで何が見えると言うんですか? こんなものにお金を払ってくれる人はいないと思うのですが』  部屋の中にいたのは、20歳くらいの若者だった。  焦げ茶色のくせ毛に、彫りの深い顔をしている。身に着けているのがチュニックで、佐久にはこれが中世だろうと分かった。  作業場のようなスペースで例の青緑色の天体が入ったアーミラリ天球儀と設計図を見比べ、ギリシア語を使っている。 (ビザンツ帝国から亡命した学者の関係だろうか……)  佐久は歴史を思い出す。  フィレンツェはオスマン帝国に滅ぼされたビザンツ帝国<※東ローマ帝国>からの亡命者を受け入れ、結果、ギリシア語を使う学者が住む街にもなったのだ。  ルネサンスがギリシア・ローマ文化の復興運動だったのだから、ビザンツ帝国の公用語であるギリシア語が重宝されたのかもしれない。  金融業で財力を持ったメディチ家がパトロンとなり、芸術や文化が栄えたルネサンス。  15世紀に最盛期を迎えて衰退していったが、その作品群は華々しく歴史に輝く。 (ガリレオ・ガリレイは17世紀に地動説の証明をしたが、ここでは天動説に基づいたアーミラリ天球儀を当たり前のように作っている。ということは16世紀から17世紀前半頃か……?)  佐久がぐるりと部屋を見渡すと、真鍮製、鋳鉄製といったアーミラリ天球儀が5つほど飾られている。  その全てが中心に地球を据えた、天動説のプトレマイオス型だった。 『いいか、グイド。これはどこかの金持ちから言われて作ったものではない。もうひとつの世界での運命を示すアーミラリ天球儀だ』 『もうひとつの世界? それは何ですか?』  グイドと呼ばれたのは茶色の髪の青年で、一緒にいるのは学者だろうか。  黒いローブを羽織り、黒いつばのある帽子から長い白髪が溢れるように広がっている。豊かな白い髭が話すたびに揺れた。 『アーミラリ天球儀を用いて占星術を施す。天体配置図(ホロスコープ)は運命を表すが、分かるのは今の世界のことだけだ』 『もうひとつの世界のことを知って、何になるというのですか?』 『そんなことは自分で考えろ』  グイドと呼ばれた青年は不服そうな表情を浮かべ『別の世界のことを、誰が知りたいのでしょうか?』と呟く。 『疑問から始めるのだ。その先にあるものを求めよ』  学者のような老人に諭され、グイドという青年は渋々アーミラリ天球儀を眺める。 『そう言われましても』  困ったように言い、深いため息をついた。
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