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「ありましたね」
「ええ、あれですね」
佐久と耀は怪しい露天商の店先で例のアーミラリ天球儀を見つけた。
そこは広場で、スパイスや布、食器などが置かれた露天が並んでいる。
「え。まさかの売り物……」
耀は思い出鑑定を行ってきて、初めてそのものが売られている場面に遭遇した。
「ヴェニスは貿易国家でした。『ヴェニスの商人』ってご存じですか?」
「名前だけは」
「16世紀にシェイクスピアによって書かれた戯曲です。ヴェニス商人と強欲なユダヤ人高利貸しの話なのですが」
「でもこれ、貿易っていうかフリーマーケットじゃないですか?」
「紅柄さん、私たちの時代とこの頃の貿易というのは形が違ったのかもしれませんよ」
思い出の中に意識として入っているため、二人には実体がない。
露天の前で話していると、30代くらいの男性が店先にやってきた。
『この天球儀は一体どういったものですか? 中の天体が地球ではないのですが、不良品でしょうか?』
やってきた男の言葉を聞き、佐久は耳を疑う。
ヴェネチアという地に足を踏み入れ、周りはイタリア語を話しているのだと思い込んでいた。
(ラテン語に……酷似している。どこかニュアンスが違うけれど……これが死語になってしまったというヴェネト語か!)
19世紀<正確には1797年>までここはヴェネチア共和国だった。
それまでヴェネチアではヴェネト語というラテン語によく似た現地語を用いていたのだ。
「紅柄さん、言葉が分かります。ラテン語のニュアンスが強いので」
「佐久さん、さっきからすごすぎませんか?」
「いや、話せと言われたら話せないんですが、聞いて理解するくらいなら」
充分すぎる、と耀は驚く。
ラテン語とギリシア語が理解できる人物に出くわしたことはない。
『この天球儀は秘められた世界、もう一人のあなたの運命を示す天体配置図(ホロスコープ)を作ることができます』
『そんなものをどう活用するのですか?』
『もう一人のあなたが困難な道を歩んでいるときは、あらゆることがうまくいかなくなるのですよ』
『うーん、でも、それが分かったところで……』
店先でアーミラリ天球儀を売っている商人と客がその特徴について議論している。
この頃、天文学と占星術は同じ学問だった。天文学者が占星術を学ぶのは当たり前で、占星術を生業としていた天文学者も多い。
『まあ、一種のお守りです。こちらの世界ともうひとつの世界、つながりを感じることができます』
『ふうん……。まあ、美しいから買ってみようか』
『ありがとうございます』
客は興味が湧いたのかアーミラリ天球儀を買うことにしたようだ。
佐久(さく)と耀(よう)はアーミラリ天球儀を持って歩き始めた男の後を追った。
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