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2.もうひとりの生贄
◇
(せめて! もう少し先まで馬車で送ってくれたなら!!)
私は息も荒く、草を踏み分け、山道を歩いていた。
イェルクの山の中腹。
"花嫁"は満月の日までに、そこに立つ"緑岩"まで来ることが、竜の命令。
王都から馬車で何日もかかる日程を強行軍し、それでもギリギリ間に合うかというところで、「ここからは道が悪いから」と、徒歩になり。
複数の兵に囲まれて歩いた山の途中で、彼らからも放り出された。
"緑岩"まで見届けなくて良いのか気になったけど、私を連れてきた兵士たちは全員、青褪め震えて一歩も進めない状態になっていて。
竜の魔力がまとわりついて、彼らを阻んでいると気づいたのは、その時だった。
そんなわけで現在。
仕方がないので、ひとりで歩いている。
山は、火山とはいえ最後に噴火してから年月が経っており、そこかしこには緑が萌え、美しい湖のある、自然豊かな場所となっていた。
軽やかな小鳥の鳴き声を耳に歩いていくと、だんだん、溜まっていた鬱憤から解放されていくようで、私の心は絶望のドン底から、愚痴を並べ立てるくらいまでは回復していた。
(ふん! ふん! 何が役立たずよ! いま職場で使ってる画期的なシステム、構築したの私なんですからね!!)
データベースに条件を入れると、必要なデータを抽出する魔道具。
職務上、データを揃えるアシスタントをしていた私は、すぐに情報が取り出せるよう、システムをいじったのだ。
おかげで誰でも楽に、データを引き出すことが出来る。ナディアが手伝ったのは、その部分。
このシステムの難点は、そのベースとなるデータを毎日入力しないと、徐々に情報鮮度が落ち、役に立たなくなるということ。
今までは、その作業も私が一手に担ってきた。
各領地から集まって来る膨大なデータを入れ、そのうえで要請に応じて資料作成を行い、提出してきた。
量が量だけに、入力に多大な時間がかかるのだけど──。
(まあ数人で手分けすれば何とかなるわね。皆、仲良しですもの。私の時みたいに、ひとりに押しつけたりしないでしょ。溜め込んだら、もっと大変なことになるもの)
やさぐれながら歩いてくと澄んだ川があり、自分の影が、流れに乱されながらも映っていた。
水面の私は、カナリーイエローの髪色も、薄紫の瞳の色も、まるで判別がつかない。
けれども、とてもくたびれた姿であることは、よくわかった。
(こんなボロボロで、汗だくの花嫁っているかしら?)
本当なら、純白の花嫁衣裳を纏って、教会でお式を挙げるはずだった。
無駄と知りつつ私のトランクには、ティバルト様に嫁ぐために仕立てたドレスが入っている。
売り払らわれて、ナディアのお小遣いにされたくないから、持ち出したのだ。
くすっ。
くすくすくす。ふふふふふ。あはははははは!!
お腹から大声を出して。私は思い切り笑った。
淑女らしくないと咎める人は、もう誰もいない。
(待ってなさい、竜! 私を食べたら、腹痛でのたうち回らせてやるから!!)
木々の隙間から、キラリ、と緑色の光が反射した。
(竜の鱗? じゃないわね。イェルクの竜は紫と聞くし)
木立を抜けて、私はあっけにとられた。
("緑岩"って、これ──??)
名前から、てっきり苔むした大きな岩だとばかり想像していたけれど、これは。
(ほ、宝石……!!)
大きなオリーブ色の宝石が、むき出しの姿で突き立っていた。
火山から橄欖石という緑の石が採れる。そう本で読んだことはあったけど、大抵は黒い岩石の中に含まれる程度のはずで……。
「うっわぁぁぁ……」
大人くらいの大岩が丸ごと宝石だというのは、初めて見る光景だった。
「わあ、わあ、わあ」
もっとよく見たくて、疲労でもつれそうな足を叱咤し、近づくと岩のところに人影がある。
私が気づくと同時に、向こうでも私に気づいたようだった。
ぶかぶかのフードを被った12、3歳くらいの子どもが、顔を上げてこちらを見た。
(かっ、わいい!!)
幼さの残るあどけない顔に、大きなシトリンの瞳。フードからのぞく暗い髪色が、白い肌を一層引き立てている。
(どうして女の子がひとりでこんな場所に……。この子も、花嫁ってこと……?)
何か手違いがあって、私とは別に、"生贄"として捧げられたのかもしれない。
(こんな年端のいかない子を、保身のために差し出す大人ってどうなの?!)
「こんにちは」
「こ、こんにちは……」
笑顔を作って明るく声かけた私に、子どもは控えめに挨拶を返してくる。少しハスキーながらも、愛らしい声だ。
「おうちはどこ? 送っていってあげる。道はわかる?」
「いや、ここで待ってないと"ハナヨメ"……」
「大丈夫よ、お姉さんが"花嫁"だから」
「えっ」
「"花嫁"はきっと、ふたりもいらないわ。私が"花嫁"として残るから、あなたはおうちに帰りなさいな。こんなに綺麗な子を手放すなんて、ご家族もきっと泣いてるでしょう?」
「えっと……」
「私はマルティナ。マルティナ・ロストン。あなたは?」
「エルマー……」
「よろしくね、エルマー」
私はエルマーの手をとると、つないで歩き出した。
そんな私に彼女はちょっとだけ目を見開いたけど、とても嬉しそうな顔をして、道を示したのだった。
(可哀そうに。きっと死にたくなかっただろうし、ひとりで不安だったに違いないわ)
歩きながら、心に問う。
"花嫁"が減ると、竜は怒るかしら。
怒って、皆が困ることになる?
それにこの子を送っていると、満月に間に合わなくなるかも。
……知らないわ。
他者の犠牲の上に、自分たちだけ助かろうと考えること自体、浅はかなのよ。
これは、私の意見を何も聞いてくれなかった人たちへの、ささやかな抵抗。
"花嫁"にならないわけじゃない。
この子を送ったら、私は戻ってくるから。
人生の最期に、自由にさせて?
◇
と、思った願いは、わりとあっけなく砕かれた。
「なななな、なんでここに山犬の群れが……!」
私は思いっきり、囲まれていた。
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