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3.彼が旦那様?
「なななな、なんでここに山犬の群れが……!」
「もちろん、山だから? 海犬じゃないよな」
エルマーの冗談は、混乱のあらわれだろうか。
私とエルマーは、気がつくと山犬たちに囲まれていた。
牙をむき出して唸る犬は、私のことを新鮮な肉だとしか見てないに違いない。
「に、逃げましょう、エルマー。ゆっくりと後ずさって……」
そろりとエルマーの手を引くけど、微動だにせず、そして彼女は一言を放った。
「失せろ。このマルティナは、俺の"ハナヨメ"だ」
その効果は絶大で、山犬たちは身を竦めると、さっと輪を解いて退散したけど。
私は手を握ったまま、この小さな少女……もとい少年を呆然と見直した。
("花嫁"? 私のことを"花嫁"? それに"俺"って言った?)
「待って、エルマー。あなたってまさか──」
「ああ、うん。何か勘違いしてるとは思ったが、後で良いかと……」
「──女の子じゃなかったの──っっ???」
エルマーは。
めちゃくちゃに拗ねた。
ふてくされた。
ぶっすぅぅぅぅと頬を膨らませたまま、私を住処へと案内してくれた。ぎゅっと握った手はそのままに。
フードを脱いだエルマーの頭には二本の角が、後ろにはしっぽが生えていて、竜人であることはもう疑いようもなかった。
彼が、竜が言った"息子"だったのだ。
(そういえば竜は人の姿にもなれると、何かで読んだことがあったっけ。王都に来た竜があまりに巨竜だったから、失念していたわ)
竜と手をつなぐなんて、とても不思議な体験だ。
導かれるままに、山に裂けた縦穴を抜けると、どんどんと地下に進んで行く。
「エ、エルマー? ここは?」
道すがら大きな紫水晶が、縦横無尽に突き出している。普通に"地下道だ"と彼は答えたけれど。
(すっごい)
やがて行きついたのは開けた空間で、そこには太い柱が並ぶ、古代様式の建物が建っていた。
「こんな立派な宮殿が、こんな場所に?」
私は驚きに目を見張った。
「第一時代の王国の跡だ。初代イェルクの竜が怒って、今の王国の前身を沈めたことは知ってるな?」
「ええ」
古に、火山の守護者たる竜を怒らせた旧ヴルカン王国。
その怒りは噴火を呼び、王国が埋没。
逃げのびた先で、人々が築いたのが現ヴルカン王国。
旧王国が第一時代。現王国が第二時代。
ヴルカンの民なら、子どもの頃に学ぶ歴史だ。
竜を怒らせるな。そうすれば逆に、火山から守ってくれる、守護竜であると。
流れるマグマを止めてくれた伝説もある。
王都に近いラーヴァの山は、竜が堰き止めたマグマから出来たと言われている。
「代々の"ハナヨメ"の生活の場として、眠ってた宮殿の灰を、適当に退かせた場所がここだ。つまり、今日からマルティナが住む場所ということになる」
「"住む"?」
「地下だが、太陽や月の光を取り入れてるから、人間の目にもさほど暗くないはず」
見ると、あちこちに配置された宝石や鏡石が、上の穴から射しこむ光をうまく屈折させて、宮殿の至る所を明るく照らしている。
思い返せば、ここに至る通路にも宝石が光を通し、視界は利いた。
「普段は地上に出てくれても構わないし、俺が大人になったら外でも暮らせるから、その時は一緒に──」
「待って。待って、エルマー。じゃあ私は、いつ食べられるの?」
「は?」
私の最大の関心と命題は、エルマーの素っ頓狂な声で、ひどく軽いものに聞こえた。
「だって"娘の血を捧げよ"って竜は言ったわ。つまり"花嫁"を食べるって、ことなんでしょう?」
エルマーはこれでもかというくらい目を丸くして、私を見つめている。
「父が……、なんと言ったかは知らなかったが……。じゃあマルティナは、俺に食べられるつもりでイェルクに来たのか? もしかして、死にたかった?」
「まさか! 死にたいはずがないわ!」
「ならどうして、逃げなかったんだ?」
「ええと……」
「機会はいくらでもあったはずだ。マルティナについてきた奴らは山に入れないよう、差し止めたのは俺だし」
(やっぱりあれは竜の仕業。でも確かになんで私は、逃げなかったのかしら)
「私が逃げたら、皆が困るから……?」
「ああ。仲間の人間たちを愛してるからか!」
「っ!」
「マルティナ?」
「愛……して……、ないかも……。私に、価値がない、から、愛して貰えな……いし……。うううっ」
「マルティナ?!」
急にポロポロと涙をこぼし始めた私に、エルマーは慌てた。
自分より背の高い私を慰めるため、頭を撫でようと背伸びしたり、オロオロと座る場所を勧め、飲み水を運び、背中をさすりながら労わってくれた。
こんなに優しく接して貰ったのは久しぶりで、私の涙はますます止まらずに、そして。
今まであったこと。
思いの丈を、この初対面の竜少年に全部ぶちまけてしまったのだった。
「なるほど……。マルティナは精神支配を受けてたようなものだな」
一通り聞き終えたエルマーが、頷くように言った。
「精神支配?」
「ああ。だってこんなに優れて優しいマルティナが、自分に価値がないと思いこむなんて、有り得ないだろ。味方のない状態で、常に抑圧を受け続けると、そういう状態に陥りやすい」
真面目で、誠実な人間ほど、自分はダメだと思い込んでしまう。
エルマーからそう聞いて、私はとても驚いていた。
年端のいかないエルマーの分析力にもだけど、私を褒めてくれたことにも。
私の精神が捻じ曲げられて、自分でも気づかないうちに思考が制限されていたなんて、思いもしなかった。
どうして私は周りの人間にそうされても仕方ないと、諦めていたんだろう。
全身で、こんなにも悲鳴を上げていたのに。
「何にせよ、俺はマルティナを気に入った。"花嫁"として歓迎するから、この山にいてくれ。大事にすると、約束する」
「えっ、えっ?」
「自分が殺されるかも知れないのに、俺を逃がそうと思ってくれたんだろう? なかなか出来ることじゃない」
(それは……、私が自分を要らない人間だと思っていたからで)
そう思いつつも、ほっこりと湧き上がってくるあたたかな気持ちが抑えられない。
つい照れ隠しに「こんなズタボロな花嫁で、ごめんなさい」と笑ったら、エルマーが眉を顰めて心配そうに言った。
「もし、自分に非がないのに謝るのが癖になってるなら、よくないぞ、マルティナ」
うっ。エルマーのほうが、まるで年上みたい。
「大丈夫。マルティナはとても可愛い。卑下はするな」
「え」
(か、可愛い? 私の聞き間違い?)
戸惑っていると、彼はもっと信じられないことを言った。
「特に笑った顔はすごく良い。ずっとこんな風に、笑顔でいてくれ」
そう言って破顔した彼こそ、とても魅力的で、私はここに来て良かったと、はじめて思ったのだった。
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