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音楽の作曲は、しばしば綿密に計算されて構築した建築物に例えられる。そこへ一時の感情が入り込む余地は、あるのだろうか?
あれから成長した私は、ブラ3の第3楽章を聞いても、「計算」が鼻につくようになってしまった。例えれば、かわいらしいと思っていた女の子のしぐさや声が、実は「計算」だと知ったガッカリ感のようなものだ。
「これブラ3だよね。私、大好きなんだ」
ブラ3のことを考えていただけに、渚左の発言には驚いた。以心伝心というやつか?
彼女の発言に、おそらく他意はない。が、彼女は、まだ少しは私に心を寄せてくれているのではないか? もしかして、まだ心が通じ合っているのか? そんな都合のいい考えが思い浮かぶ。
大学の頃の渚左は、自分を飾ることをほとんどしない人だった。少なくとも化粧はまったくしていなかった。服装には、それなりに気を使っていたが、私と付き合い始める前、一段と気を使っているように感じた。あれは、私に対するモーションだったか?
今日の渚左は、化粧もちゃんとしているし、服装も年相応のレディといった風のドレスを着ていて、なかなか似合っている。
あたりまえだが、あれから約10年たった渚左も、成長しているはずだ。その彼女には、今の生活がある。そこに、自分の入る余地があるのか? そう考えると自信がない。
心の葛藤とは裏腹に、渚左に話を合わせる。
「ブラ3は、ちょうど去年の秋の演奏会でやったんだ。前にOBオケでやったときは、練習不足で満足いかなかったけど、今回はリベンジできたよ」
「そうなんだ。聞きたかったなあ。T響って、レベル高いよね。たまに管楽器のミスが聞こえなかったら、プロと区別がつかないよ」
「入団オーディションではコンチェルトを弾かされるし、プロの先生を呼んで厳しく審査するからね」
「弦楽器で入団オーディションがあるなんて、あまり聞かないよね」
「うちとS響くらいかな。でも、S響は入団時だけだけど、うちは定期的に更新オーディションもあるから」
「うわっ。それは厳しいね」
そこで、話が途切れた。朴念仁のくせに、音楽のこととなると、つい饒舌になる。渚左の顔が、こころなしか曇って見える。
「もうオケはやらないの? 大学のOBが集まってるYオケとかあるでしょ」
「もう、ぜんぜん練習してなくて……この間、思い切って練習台もマレットも捨てちゃった。でもね、最近合唱を始めたんだよ。ママさんコーラスってやつで、あんまりじょうずじゃないけど」
「そうなんだ。じゃあ、さっき会ってた人は、同じサークルの人?」
「うん。すごくじょうずで、Sフィルハーモニック・合唱団とかけもちしてるんだ」
「へえ。そういうことなんだ」
昔みたいに、オケを通してつながる道が断たれ、淡い期待は消えた。むしろ、社会人で続けられる方がレアなのだと、思い直す。
渚左は、今の暮らしぶりについて話してくれた。突っ込んで聞けなかったので確証はないが、総合すると、何年か前に結婚したらしい。相手は、私の知人ではなさそうだ。
「ゆうちんってさあ、結婚してないの?」
「まあね」
「えーっ! どうして? ゆうちんって、モテるのに。ゆうちんを狙ってた女の子って、結構いたんだよ」
「ほんとかよ。初めて聞いたよ」
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