ブラ3はお好き? ~アンニュイな雨の休日の午後に~

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「ゆうちんってさあ。ミステリアスで、いかにもアーチストっていう感じのオーラを出してるから、ちょっと近寄りがたいところがあるけど、付き合ってみると味があるっていうか……ブラームスみたいな?」 「どこがブラームスなんだよ!」 「だから、()めば()むほど味が出るってところだよ。スルメイカみたいだって言うでしょ」  なんだか、()められた気分がしない。ブラームスは、親しく交際していた先輩作曲家シューマンの妻クララへ熱烈な思いを寄せ続け、生涯独身だった。私には、独身を貫くポリシーはない。  クララは、遺伝子疾患で精神病となったシューマンを献身的に支え続けた。夫が自殺した後は、男社会である音楽界において、女流ピアニストの走りとして活動を続け、子供たちを立派に育て上げた。ブラームスは、子供たちの子守をするなど、クララに献身している。  クララは、お札の肖像画に採用されるほど、社会的評価の高い人物だ。が、ブラームスとの関係を考えるとどうなのだろう? ブラームスはクララへの思いを心に秘め続けたわけではなく、相当に熱烈な手紙を送っている。彼女は、ブラームスの思いを重々承知していたのだ。  私は、思わずにはいられない。クララは、計算高い女だったのではないかと……。  渚左(なぎさ)は、帰り際に、こう言った。 「今度、電話するね。携帯番号は変わってないよね?」 「ああ。変わってないよ」  この言葉の意味を考え込んだ。単なる社交辞令と思ってしまえば、真に受ける方がバカげている。が、渚左(なぎさ)は、ほとんど「計算」しない女だったはず。言葉そのままの意味だったら? 逡巡(しゅんじゅん)しつつも、なぜか少し期待している自分がいた。で? 期待? 何を? 相手は人妻だぞ。  本気で待っていたわけではないが、彼女から電話は来ない。  そのうちに、またとんでもない激務が舞い込んできた。数カ月間、終電で帰れず、タクシーで帰宅する日々が続く。私には、よくよく仕事運がないらしい。私の心は悲鳴をあげていた。激務が続いたストレスで、中程度の鬱病(うつびょう)を発症してしまったのだ。仕事も、しばらく休職することになった。当然、オケもやめた。  心が弱ったことで、私の音楽の趣味はガラリと変わった。オーケストラを派手に鳴らす曲は、刺激が強すぎて負担に感じる。聴くとして、室内楽やバロック・中世時代のおとなしい曲じゃないと無理だ。  そんなとき、ネット上で、雨の日に聞く曲を集めた曲を収録しているCDを発見して、衝動買いした。今の自分にピッタリだと思った。  CDが届いた日。しとしとと雨が降っていた。休日ではないが、休職中。  CDには、ブラ3の3楽章が収録されていた。渚左(なぎさ)の感性は、世間的に一般な感性と一致していたわけだ。  聴いてみると、「計算」が鼻につくことはなかった。というより、そこまで気を回す余力が、今の自分の心にないと言った方が正確か。  そうなって、あらためて気づいた。音楽を聴くときに、演奏者としての視点で聞き続けてきたことを。それは、楽曲分析(アナリーゼ)を前提に曲を聞いていることにほかならない。  ――聴きたいものを、自分の感性に素直にしたがって聴けばいい。  あまりに当たり前すぎることが、胸にストンと落ちた気がした。
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