2人が本棚に入れています
本棚に追加
音楽だけではない。男女間の関係にしても、裏に「計算」があるかなどと邪推して、いいことがあるのか? 何が楽しい? 自分の心へ素直になれば、それで十分だ。おそらくその先に、これまで得られなかった何かがある。
その後、復職した私は、再びT響でオケ活動を再開した。
職場の同僚の女性と交際を始めた。渚左のときは、なし崩し的だったが、彼女の方から近づいてきた。今の彼女は、自分からデートへ誘ったら、あっさりと受け入れられた。そして、彼女と結婚した。
渚左もおしゃべりだったが、妻は、それに輪をかけたおしゃべりだ。下町生まれの江戸っ子で、職場の幹部が相手でもタメ口をきく豪胆さも持っている。
Yオケにエキストラを頼まれた。メインはブラームスの交響曲第2番。大学時代に渚左と一緒にやった曲だ。
演奏会が終わり、楽屋口から出ると妻が待っていた。私を見つけると、手を振って近づいてくる。
「立見さん?」
女性の声がして、一瞬血の気が引いた。声で分かった。渚左だ。
「島林さん、じゃなくて、名前が変わったんだよね?」
一歩下がって控えている男性が目に入り、ピンときた。どうりで、「ゆうちん」と呼べないはずだ。
「これ、うちの旦那」
「どうも」
「どうも」
おざなりに紹介された彼は、ボソリと一言だけあいさつした。が、私もにた者どうしだ。
少しだけ嫉妬の感情を覚える。が、なぜか腑に落ちた。穏やかで優しそうな雰囲気が、どこか自分とにている。
「ねえ。誰? もしかして、元カノ? やだぁ。ゆうさんのスケコマシ!」と、妻が私の肩をど突きながら言う。怒ってはいない。冗談めいたニュアンスだ。
「え? まあ……そんな感じ?」と、答えかねていた私に代わり、渚左が答えた。
「昔のゆうさんって、どんな感じだったの?」
「ゆうちんはさあ……」
私の不愉快そうな視線に気づくと、2人は、少し離れた場所へ移動した。コソコソと何かを話している。
残された夫2人の会話は、これだけだった。
「お互い苦労しますね」
「まあ……そうですね」
でも、いやな苦労じゃない。
最初のコメントを投稿しよう!