フミカ

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フミカ

 ヒラクは聖堂に向かって走った。確かめたいことがあった。  ヒラクが聖堂に飛び込むと、祭壇の前にはウヌーアがいた。祈りを終えた後のようで、深々と頭を下げていた。  顔を上げたウヌーアはすぐにヒラクに気がついて笑いかけた。 「どうしたの? 一人でもお祈りにきたの? 毎日えらいわ。おりこうさんね」  ヒラクは口をとがらせて目をそらした。毎日祈りになど来ていないことは母が一番よく知っているはずだ。それなのにそんなことを言ってほめるなんて、意地が悪いにもほどがある。それなら怒られた方がましだ。ヒラクはおもしろくない気分でいた。 「久しぶりだね」 「久しぶり?」  今度はヒラクが嫌味を返したつもりだった。だがウヌーアは不思議そうな顔をするだけだった。 「何言っているの? ずっと一緒に毎日お祈りしていたじゃないの」 「誰と?」 「ヒラクよ?」  ヒラクはわけがわからなかった。だが母は嘘をついているようにも見えない。ヒラクの鼓動が早まった。 「おれ……ここで母さんと祈っていたの?」 「ええ、ちゃんと母さんの言うことを聞いて、おりこうさんにしていたわ。祈り方も完璧よ。これならすぐにでも代替わりの時を迎えることができる」 「代替わりの時?」 「第二の地位ドゥーアの祈りで第一の地位ウヌーアがプレーナに還元されるの。そしてドゥーアがウヌーアを引き継ぐの。ウヌーアである私はもうじきプレーナになる」  ウヌーアは恍惚とした表情で祭壇に目をやった。  一体母は何を言っているのか……。  ヒラクは混乱した。まるでもう一人自分がいるかのようだ。母の望むとおりの自分……。それはヒラクの想像の中にしかいないはずだった。五歳の頃を分岐点として、父の世界と母の世界に分離した自分……。もしも母と暮らしていたら、母の望むとおりの自分がここに存在していたはずだとヒラクは考えた。同時に、そんなことはありえないと考えを打ち消した。打ち消したはずだった。けれどもどこかに不安があった。今ここにいる自分は本来いるべきはずの自分のにせもので、本物は別にいるのではないか? そんな思いがあった。そして今、それは現実の確信に変わった。 「母さん、第二の地位にあるというドゥーア・ディンゴは一人だけ?」  ヒラクの中でフミカが冷たく笑う。 「あたりまえじゃない」  ウヌーアの言葉に、ヒラクは確かめたかった答えを得た気がした。それでもはっきりと口に出して聞かずにはいられない。 「母さん、フミカを知っている?」 「フミカ……」  ウヌーアは、まるで呪文をかけられたかのように静止して、水晶の壁の一点をみつめた。 「知ってるの?」 「……知ってるわ」  ウヌーアはヒラクの目を見ず無表情のままつぶやいた。 「ドゥーア・ディンゴ。第二の地位は彼女?」  確信が迫り、ヒラクの鼓動が高鳴る。 「答えてよ。フミカは何者? 第二の地位が彼女なら、おれはいらないの? おれは一体何なんだよ!」 「ヒラクはヒラクよ。私の娘。だけど、もしも私が名づけることができたなら、そんな名前にしなかった」 「母さんがつけたかった名前は何?」 ウヌーアはヒラクの目をじっと見た。 「……フミカ」  その目はヒラクを通して別な誰かを見るようだった。 「私の一番好きな名前よ」  そう言ってウヌーアが抱きしめたのは、自分ではないとヒラクは思った。  母の腕の中で、ヒラクはフミカのふりをした。そうしなければ、自分が消えてしまいそうだった。
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