プレーナの記憶

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プレーナの記憶

 ヒラクは幼い頃から、人には見えないものが見える。  そしてどうやらヴェルダの御使(みつか)いも同じ体験をしているらしい。  ヒラクは今こそ自分がずっと疑問に思ってきたことの答えがわかるのではないかと、胸を高鳴らせていた。 「見えるっておれが川の神を見たみたいに? 沼の神も見たんだ。神さまだけじゃない。セーカの昔の老主も見た。プレーナに旅立つという娘たちも」  ヒラクは興奮する気持ちを抑えきれず、早口でまくし立てた。 「あれは何? ねえ、あなたにはわかるの?」  ヒラクはヴェルダの御使いに尋ねる。  ヴェルダの御使いは静かにうなずく。 「それはプレーナの記憶よ」 「プレーナの記憶?」 「……プレーナというよりも、水と言った方がいいかしら」 「……水?」  ヒラクは首をかしげる。 「思い出してみて。あなたが人には見えないものが見えたのは、どんな場所だった?」 「場所……」  ヒラクは考えてみた。そして一つ一つ思い返しながら、口に出してみた。 「川……、沼……、沢……。それから、プレーナの娘たちは『井戸の間』ってところにいた。そうだ、あそこには泉が湧き出ていた」  それらの場所はすべて水がある場所だった。  だが一つ、ヒラクには腑に落ちないことがある。  それは、セーカの歴史を記録し続ける一族であるシルキオの過去の記憶に入り込んだときのことだ。  その時ヒラクはシルキオの中に入り込み、シルキオとして過去の記憶を追体験したのだ。 「……水が記憶するって意味が、おれにはよくわからない。おれは他人の過去の記憶に入り込んだりもした。あれは一体……」 「それは、あなたがプレーナそのものになって体験したことじゃないの?」 「プレーナに?」  ヒラクはその時のことを思い出してみた。  あの時、ヒラクはヒラクとしての実体を失っていた。水とも光とも区別のつかない形状になり、体が溶け出していくかのようだった。 「プレーナそのものである水には過去の記憶が保持されている。あなたが他人の目を通して過去の記憶を見たように、プレーナの目を通してあなたは過去を見た」 「プレーナの目?」 「同じことよ。水場で過去の情景を見るということは、過去を保持するプレーナの記憶に同調してその目を借りて映像を見ているようなものだもの」  ヒラクにはヴェルダの御使(みつか)いの言っていることがよくわからない。  そんなヒラクの戸惑いももっともだというようにヴェルダの御使いは微笑してうなずく。 「わからなくて当然ね。私だって、水が過去の記録を読み取る媒体となるということしかわかっていない。とにかく、あなたが他人の過去の記憶に入り込んだのは、あなたが水の力を宿すプレーナという媒体そのものになったということなのよ」  ヒラクはしばらく考え込んだ。ヴェルダの御使いの言葉をきちんと消化する前に次の疑問が湧く。 「じゃあさ、アノイの川の神さまも過去にいたのが水に記録されていて、おれはそれを見ていただけってこと?」  ヒラクが山で道に迷ったとき、方向を示してくれたのは川の神だった。川の神が進む方に従ってヒラクは家に帰りつくことができたのだ。沼の神などは指で方向を示してくれた。それがすべてただの過去の記録だとはヒラクにはとても思えない。 「それは……私にはよくわからない。ただ、プレーナのことに関して言えば、神であるプレーナが過去にそのまま存在したものであるとは言い切れない」 「どういうこと?」 「プレーナは姿を変えるわ」 「姿を変える?」 「あなたはプレーナをどのような形で見たの?」 「……緑色に光る水が女の形になった姿」  ヒラクは、セーカの地下においてもプレーナの地においても、緑の光とも水とも区別のつかない女の姿を見ている。それがプレーナ教徒や母のいう女神プレーナの姿だと思った。 「私も同じものを見たわ。そしてそれこそがプレーナだと思っていた」 「ちがうの?」ヒラクは驚いて聞き返した。 「いいえ。まったく思ったとおりのプレーナよ。だからこそちがうのよ」 「……どういう意味?」  ヒラクは不可解な怪訝な顔でヴェルダの御使いを見る。 「まったく知らない過去の記録を見るのとはちがうの。私はプレーナの姿をそれがプレーナであると初めからわかっていた。なぜなら、それがプレーナであるという認識をすでに持っていたから。そして私が思ったとおりの姿でプレーナが現れた。これが何を意味しているかわかる?」 「全然」 「水に過去の記録が保持されてそれを読み取ることができるのとは別に、こちらの頭にあるものを水に記録することができるのではないかということよ」 「それって、おれがプレーナっていう水の力そのものになって他人の記憶を読み取ったのと同じようなこと?」 「それとはまたちがうわ。他人の記憶に入り込むことは、実際に体験した過去の出来事につながるということ。でも水に記録したものは、必ずしも実際目で見たものとは限らない。自分が念じて想うものが水に焼きつくと考えたらどうかしら」 「じゃあ、実際にはあの緑の女はいないっていうこと?」 「いいえ。何もないところからは何も生まれない。私はあの姿は、あの姿を望む者によって具現化したプレーナの姿だと思っている」 「うーん、何だかますますわからなくなってきた。アノイの川の神もいないけどいるってこと?」 「さあ、わからない。私はプレーナ以外の神を見たことはないもの」 「アノイの川に来たら、そこにいる神さまが見えるかもしれないよ」 「たとえ見たとしてもそれが過去の記録なのかどうか見分けることは、他に神を知らない私にはできないわ。それに……」  ヴェルダの御使いはヒラクの目をじっと見た。 「神を見る目は別にあるのかもしれない」 「……どういうこと?」  まっすぐに自分をみつめるヒラクから目をそらし、ヴェルダの御使いは自嘲するように笑った。 「私には、プレーナ以外のことはわからないということよ。結局、プレーナから逃れることはできないの」 ヴェルダの御使いは複雑な表情でヒラクをじっと見た。 「あなたは、プレーナに取り込まれることなく、外の世界に飛び出した。逃げるのではなく向き合った。そしてその目は真実のプレーナの姿を捉えた」 「真実の姿?」 「プレーナが水そのものであるということ。この世界に行き渡り浸透する偉大なる存在。回帰する永遠なる者。それが、空から降り続く雨ということなのかもしれない」 「雨が……プレーナ?」 「そう、肥沃の大地を渇きの地としたプレーナはもういない。その怒りの神の姿すら、人々の想いが作り上げたプレーナだった」 「じゃあ、プレーナは最初からいなかったの?」 「……いいえ。いないなんてことはない。たとえ人がどのような姿でプレーナをとらえたとしても、私にとってはやはりプレーナが神であることに変わりない。この大地を潤す力こそプレーナそのものであり、そこから女神の姿が現れたのだと思っている。だから、私の中からプレーナは消えうせることはない。それこそが、私が決してプレーナから逃れることができないということ。理屈じゃないのよ……」  プレーナの真実の姿がこの雨だとすれば、やはりプレーナというのは唯一の神とはいえないのではないかとヒラクは思った。  アノイの地では、自然に宿るものすべてが神なのだ。  結局プレーナは水の神という多くの神のうちの一つに過ぎないのだろうとヒラクは考えた。  だが目の前のヴェルダの御使いにとってはそれが唯一の神なのだということがよくわかる。きっとそれは母ウヌーアにとっても同じことだったのだとヒラクは思った。 「母さんは、どこにいるのかな……」  母のことを思い出し、ヒラクはぽつりとつぶやいた。 「プレーナとともにあるわ」  そしてヴェルダの御使(みつか)いは聖地プレーナの真実について語り始めた。
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