聖地から聖地へ

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聖地から聖地へ

 扉の向こうは緑の大地だった。  ヒラクは一瞬、プレーナの地から抜け出せたのかと思った。  だが、そうではなかった。見上げた空は淡い緑の水の膜で覆われている。 「ここは一体……」  ヒラクは辺りを見渡した。  遠くにうごめく白いものがある。放牧された羊の群れだ。  ヒラクはそこまで近づいてみることにした。  久しぶりに踏みしめる大地だ。  しかしヒラクはどこか違和感を覚えた。 「風がない……」  日差しは柔らかで穏やかだ。温かく過ごしやすい温度である。自然の厳しさを感じさせるものは何もなく、時間さえゆるやかに過ぎていくかのようだ。  ヒラクは初めて見る羊を不思議そうにしげしげと眺めた。  ヒラクが近づこうとすると羊たちは早足に離れていく。おとなしく臆病な性格らしい。もこもことした羊たちの毛がどういうものかその手で確かめてみたかったが、ヒラクはしつこくは追わなかった。  木蔭で男が居眠りをしていた。男は、たっぷりとした白の衣服を着ていた。プレーナ教徒であることを示す緑の紐を衣服の上から巻きつけてはいないが、赤茶色の髪をしたセーカの民の特徴を持っている。地下から外に出ることのなかったプレーナ教徒のように病的な感じはない。黄みがかった肌の血色はよく、何の悩みもない顔で幸せそうに眠っている。 (これが羊飼いってやつかな?)  ヒラクは男をじっと見下ろした。  男はヒラクが自分の頭のそばに立っていることにまったく気がついていない。 「ねえ、ちょっと」  ヒラクが声をかけると、男はゆっくりと目をあけた。  男は寝ぼけ眼でヒラクをぼんやりと見る。 「あんた、羊飼いでしょう? 羊から目を離していていいの? 狼がきたらたいへんだよ」  ヒラクは、セーカの民が羊を襲う狼に悩まされてきたことを知っている。  だが男は再び目を閉じて、にやりと笑うだけだった。 「なあに、ここらに狼なんて出やしねぇよ。ここはプレーナの聖地だからな」 「聖地? ここも? 一体どういうこと……?」 「ああ、もう、うるさいなぁ、とっととどこかに……」   男は身を起こしてヒラクをにらみつけた。が、すぐに言葉を失い、驚愕した。 「あ、あなた様はヴェルダの御使(みつか)い様では? どうしてこのようなところに?」  男は目を見開き、魚のように口をぱくぱくと動かした。 「ここではヴェルダの御使いってわけか……。プレーナの娘と呼ばれたり、一体何だっていうんだ」  ヒラクはわけがわからないというように頭をぼりぼりとかいた。 「あの、あなた様は、門の外から聖地へ入ることはないと聞いてますです。あなた様は、聖地から汚れた世に遣わされた方と……」 「門の外って、ここが外だよね?」  ヒラクの母がいる水晶の建物から外に出ると、そこはプレーナの娘たちのいる噴水のある場所だった。  その場所から母のいる場所に戻ろうとすると今度は緑の大地が広がるこの場所に出てしまった。  おそらくここはプレーナの娘たちが「外」と呼んでいる場所だ。  そしてここにいる男はさらにこの場所の外があると言っている。  何より、母がいる場所も、プレーナの娘たちがいる場所も、そして今いる大地も聖地であるということが、ヒラクの頭を混乱させる。 「一体外ってどこのことを言ってるの? どこが本当の聖地でどこが(けが)れた外の世界だっていうんだ。大体、プレーナの娘たちは、ヴェルダの御使いはさっきの噴水の場所には存在しないと言っていた。でもここにはいるってこと?」  ヒラクは男に尋ねた。 「いえ、ですから、ヴェルダの御使い様は、本来ここにはいらっしゃらないのであります。なのになぜ……」 「あーもういいよ」  ヒラクはうんざりした様子で会話を打ち切った 「ここでじっとしていてもしかたない。とりあえず、外に出る門っていうのに案内してよ」 「はあ、あの、あれです」  男がおずおずと指差したのは、ヒラクがたった今通り抜けてきたアーチ型の扉のある場所だった。その扉は両側を尖塔に挟まれていた。そしてプレーナの娘たちがいた場所と同じように、石を積み上げた高い壁が城壁のようにどこまでも伸びている。 「そんなのおかしいよ。おれはたった今あそこから入ってきたんだ」  ヒラクは納得いかない様子で言った。 「はあ、ですから、なぜ門の外からお入りになったのかと……」 「外? プレーナの娘たちがいる場所が外ってこと? でもあっちから見ればここが外みたいだよ」 「門の外がどうなっているかなど知りませんよ。ただ、外は穢れた世界だから、扉を開けちゃいけないとされていて、ここで暮らす者たちはそれを守らなきゃいけないんです」 「他にもここで暮らす人間がいるの?」 「いますよ。何なら町までご案内しますよ」  そう言って男は立ち上がり、羊たちを集めはじめた。  
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