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翔は、美咲が翔に甘える甲高い声に胸を締めつけられた。自然に瞳に盛り上がる涙で前が見えなくなった。
「どうしたんです?」
突然、店主が声をかけた。追憶に沈んでいた翔の意識が現実に戻された。翔は、涙をさっと拭うとバツ悪そうに店主に笑顔を向けた。店主が翔の前に赤地に白抜きの百合が描かれたカップをそっと置いた。コーヒーが香り立つ。
「いえ、なんでもないんです」
「何か、悲しいことを抱えて余市に来たんではないですか?」
翔は唇を噛みしめ、店主の顔を見つめた。店主の微笑みに促されて翔は重い口を開く。美咲と大学で知り合ったこと、すぐに愛し合うようになり、25歳の美咲の誕生日に結婚する約束をしていたが、美咲が昨年急逝したこと、彼女との思い出が毎日のように蘇り、なにも手に着かないことなど、声を詰まらせながら話した。
「そうか、それは辛かったね。余市に来たのは、その彼女が話していたからかい?」
「ええ、実は……美咲が地獄穴伝説を話していたんです」
「地獄穴伝説のことを知っているのかい?」
「はい、黄泉の国に通じると。俺は美咲を連れ戻したいんです」
「いや、君、そんなことはただの言い伝えだよ」
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