助走期間

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「助走期間」 3年もあれば一つや二つ歴史を作るなんて簡単でしょう? 歴史といっても、自分の人生においての・・という意味なんだけど・・。 素敵な異性に出会って恋に落ちて、付き合って、結婚して、子供ができて。ほら、こんな素敵な出来事の連続だって、3年以内に起きている人、たくさんいるんじゃないかしら? それから世の中に名前が知られるようになるのだって、3年あればできてしまうわ。3年前の私は、今の私がこうなっているなんて想像しなかったけど、つまりはきっかけなのよね。人との出会いも、仕事との出会いも・・・。 でも私が言いたいのはきっかけだけじゃ何も始まらないってことなの。きっかけと情熱があって、やっと歴史の1ページに一行目が刻まれるんじゃないしら。 ここ1,2年で大ブレークした人気女優がインタビューで語っている雑誌の記事だ。 そうなんだぁ、などと暢気なことを私は思う。 この3年間は、私の人生に何かをもたらせただろうか。自分に当てはめてみると、この3年間は私の人生に歴史といえるようなものは何もなかった。始めたことも、成し得たこともない。つまり、全てが何かの途中であって現状維持を貫いてそこに努力があったのかというとそれもない。  3年どころかそれ以上、同じ時間に起き、同じ時間に食べ、同じ場所に行き、同じ仕事を同じ人間とし、同じことを思う。おなじ、おなじ、おなじ。 そういえば、大学時代からのバイト仲間だった親友の美也子に「そもそもあなたに男運がないのは周りにいい男がいるかどうかの問題じゃなくて、あなた自身に刺激もなければかといって安らぎもないからよ」などとあけすけに言われたばかりだった。  部屋を見渡す。  夏になろうと、冬になろうと、模様替えさえしなかった。3年間同じカーテン、同じカーペット、ソファーには同じクッション。それもこだわりもなく選んだバーゲン品で、お世辞にもセンスがいいとはいい難い。  ここ数年で新しく買ったものは・・・とぐるりと周りを見渡して、まず目に付いたのは、例の女優のインタビュー記事が書いてある雑誌。これは今日買ったばかり。毎月10日に発行されてこの雑誌を私は、きちんきちんと、5年以上買っている。つまり、この習慣も貫いていることの一つだ。  雑誌の横には、大きなマグカップ。これも随分長く愛用しているものの一つだ。使い古しのマグカップで濃い目のコーヒーをすすり、着古したTシャツと、スウェットパンツ姿でメイク落しをしながら、古ぼけたテーブルで雑誌を読む。そして、どの記事を読んでも感想はいつも「そうなんだぁ」で終わり。  日々のルーティンワークが変わらないのも、愛用品を使い続けることは何も問題はないはずだ。だが、簡単に5年、10年の単位で時間を流しっぱなしの水のごとく無駄に過ごしている人間としては、3年で歴史が作れるなんて言われたら焦ってしまう。  インタビュアーに向いて、語っている最中のその女優の写真が使われているのだが、その女優は活き活きと輝いている。確固たる自信が満ち溢れて、内面から来る美しさとはこういう強さのようなものなのかな、と思った。  この女優は時に癒し系、時に悪女系を演じ分ける演技力の長けた女優だ。刺激と安らぎを両方備えている。両方ない女から見るとまぶしくてしょうがない。  はて、私の3年後はどうなっているものか? 軽く3年後の今日もこのテーブルでコーヒーを飲みながら同じ雑誌を読んでいる想像できる。  この記事を読んだことといい、この間大学からの友人の美也子に言われたことといい、これがいわゆる代わり映えのしない人生にスポットを当てるきっかけってやつなのかもしれない。その証拠に、今回の記事を読んだ感想は、「そうなんだぁ」の次に「じゃあこれからの3年間で本気になればなんだってできるかも?」なんて私らしからぬ前向きなことを思ったのだ。  そんな風に思えるきっかけがあっても、はたして情熱をどこに注ぐべきものなのか。内面から光溢れる女優曰く、きっかけだけじゃあ始まらないらしい。私だって人生の歴史を刻んでみたいのだが、情熱を傾けたくなるようなものは見当たらない。   美也子に男運がないのは刺激も安らぎもないからだ、と言われたのはいわば、ぶったらぶち返されたようなものだった。  好意を寄せてくれる人がいるというのに、振ってばかりで蜜を吸っては花から花へ飛んでいく蝶のような美也子に「きっと後で今が華だったことに気づくのよ。そのうち誰も相手してくれなくなって、年を取って行くんだよ」と私は言ったのだ。  今のうちに気づかないと後が痛いわよ、と美也子を思ってのことだが、恋人もいない30代も折り返し地点目前の私たちにとって、誰も相手してくれなくなり、年を取っていくことは恐怖なのだ。私の美也子を思っての言葉は、美也子に抵抗心のようなものを与え、ならばそんなことを言うおまえはどうなのだ、と攻撃にでることにしたのだろう。  気持ちは20代とまったく変わらないのに、明らかに周りの目は「30過ぎの・・」に変わっている。年を取るほどの魅力というものが備わればいいのだが、いつまでもかわいい、と言われる女の子にしがみついていたいのだ。そんな無駄な恋慕にきっぱり別れをつげられないのもやっかいだ。年齢相応が何かをあきらかに見失っている自分がいる。   学生時代のバイト仲間だった私と美也子は、毎週決まって木曜日に飲みに行き、「あと1日で週末だね」と週に1回、月に4回、年に50回。そしてそれを10年間やってきた。  元々4人グループで始まったこの週に一回の飲み会も、時が経つにつれ、一人減り、別の子が入ってきて、しばらくすると、その子と、元からいた4人のうちの一人のそりが合わずに、一人減り、その一人が減ったら、新しく入ってきた子が自分の友達を誘うようになり、そのうち、その友達も友達を呼ぶようになり、彼氏がいる子は彼氏まで呼ぶようになり、毎回なんだか大きなイベントみたいになってきて、毎週幹事が必要になり、それを交代で回すようになったが、そういうことは私には向いておらず、ストレスになってきた。       純粋にガールズトークを楽しみたいだけの私と美也子がそーっと、その会から抜けて(といっても二人とも元祖のメンバーなのだが)二人だけでひっそりと続けることにした。  単調な日々の繰り返しでも木曜日だけは、朝から華やいでいた。今日は美也子とごはんだ!と思うと、嫌なことがあっても、美也子に話すネタの一つが増えるだけで、なんでもなかった。包み隠さずなんでも話してきたのは、美也子もそうしてきてくれたからだ。  これが私と美也子の歴史でもある。そして私たちの友情史上ではじめて、私たちはまるで恋人たちのように冷却時間を設けることにした。   今日は木曜日だ。私は一人で雑誌を読んでいる。美也子にはすでに3週間あっていない。美也子に話したいネタがつまっている。話したくてたまらない。 「ねぇ、〇〇って女優知ってる? ここ1,2年で急に売れてきた人なんだけど、雑誌のインタビュー記事でさ3年もあればなんでもできるって語ってるの。ま、たしかにそうかもしれないけどさ、3年なんて無意識に過ごしていると何の変化もないままあっという間にすぎちゃうもんよね」  そんな風に止めどなく語って、なんの変化がなくたって、別にいいじゃん、となんとなくお互いの現状を認め合ってそしてまた来週の二人の木曜会を楽しみにして、を繰り返すのがなんとも居心地がよいのだ。  しかしその居心地の良さがいつになっても時代を築けない原因だったとは考えられなくはないだろうか?  「きっかけと情熱・・きっかけと情熱・・これからの3年間で本気になればなんだってできる」 私は念仏のように唱えた。現状に満足をしているような、していないようなそんな状態を十数年も続けている。変化し続けることが美徳とは言い切れないが、若い時のままにしがみついているのは美しくはない。それは分かっている。  そしてふと今まで考えてもなかったことを思いついた。 「帰ろう!」  大学の時に東京に出てきてかれこれ二十年。実家は長野で小さな古道具屋をやっている。よく言えばアンティークなのだが、いわばリサイクルショップを営んでいるようなものでただの中古品を扱っている店だ。  父は間違っても目利きではないが、買い付けてきたものに囲まれて過ごす生活を愛していた。父も高齢になり、夏に帰った時には店をたたむと言っていた。寂しそうだったのを覚えている。その店を私が継げばいいではないか。  古美術は奥が深く年を取れば取るほど経験を生かしていける仕事だ。私は勝手に店を継ぐ気まんまんになっていた。  その週末に私はさっそく実家に帰ることにした。善は急げだ。実家に電話すると母が出て「あと1か月もすればどうせ、お正月休みで帰るのに、どうしたの?」と言われたが、店のことは会うまで何も話さないことにしておいた。    実家のある駅について外に出たとたん東京とは違う澄んだ空気のきれいさに気づかされる。 「やっぱ帰ることにして正解だ」  胸一杯にきれいな空気を吸い込んで思う。バスで向かうはずだったが、車で弟が迎えに来てくれていた。弟は地元の区役所に勤めている。 「ねーちゃん!」  十も離れた弟だが、今年の始め結婚して奥さんは妊娠中だ。かわいい弟夫婦と、その姪か甥も近くに住んでいるなんてやっぱり地元に帰るのは正解だ。私は再確認した。 「おめでとう! 母さん赤飯炊いて待ってるよ」  私の顔を見るなり、開口一番弟に言われ、何も話していないのにと思う。 「そうなの? おおげさだなぁ、帰ってきたというだけで」 「で、どこよ?」 「どこって、何が?」  「義兄さんになる人つれてきたんだろ?」 「はぁ??」  そこで合点がいった。完全に誤解されたのだ。  車の中で店を継ぐつもりでいることを話すと、弟はきまり悪そうにした。早合点したことに対してだろうと思って、気にしなくてもいいのに、という気持ちを込めて明るい声で、「私一人でも、帰ってくることを喜んでよ」と言った。「うーん。でもねぇ」弟の言葉は切れが悪い。  家の前についてそれがどうしてだか分かった。 店はとうになくなり、増築のための骨組が組まれていた。 「店のあったところをさ、二世帯にしようってことになってほら、孫も生まれるからその前に、って」  長女の私にはなんの相談もなかったのが悲しい。これもなにも正月に話そうと思っていたらしい。夏に店をたたむという話はしていたのだし、弟が一緒に親と住んでくれれば本来ならこちらとしてもありがたいと思うべきなのかもしれない。  弟夫婦と両親はこの地で歴史を刻んでいこうとしている。弟は結婚をし、子供を授かり、地元の両親との同居生活に踏み切った。まさに3年で歴史を築いている一例だ。その姉は、一人東京で現状維持を続けている。  赤飯が空しい味がしたのは、私だけではないはずだ。両親も行き遅れている娘がやっと相手を紹介するためにわざわざ帰ってくると思いこみ、私は自分の歴史に残る第一歩かもと思って意を決して来てみたらカラ振りだったのだ。  長野に着いた途端にここが私の居場所なんだ、と思ったのが遠い昔のようだ。もう気持ちは東京に向かっていた。住み慣れた東京の模様替えも何年もしていないようなマンションで、毎日、毎日おなじことを繰り返し、着古したスウェット着て、古ぼけたテーブルで雑誌の記事を読んで「そうなんだぁ」と思う。そんな日々も何年も何年も実は続いているが、今しかできないことではないだろうか。  私は翌日には東京行きの新幹線の中にいた。缶ビール片手に車窓眺めながら乙だね~、などと思う私はもう若い女の子なんぞではない。そこに携帯のメール着信音が鳴った。美也子からだ。冷却期間から3週間目だ。 「このあいだごめんね。いいすぎた。実家から今帰ってきたとこなんだけど、やっぱり東京がいいね。また木曜会しない?」  実家にかえってきっと私と同じような週末を過ごし、自覚したのだろう。やっぱり帰る場所は歴史があろうとなかろうと、ここだって。  同じことの繰り返しだろうと、変哲のない人生だろうと、ハイライトが3年間に何もなくたって、今更焦ることなんてない。 「こっちも実家から東京に向かっているところ。東京はやっぱホッとするね。今度の木曜からまたやろう。何年でもおばあちゃんになってもやろうね」  美也子に返信すると、それに対しての返信がすぐに返ってきた。 「還暦過ぎても喜寿がすぎても米寿がすぎてもやろうね!!」  そこまで歴史なしのままは避けたいが、いつか私と美也子にも人生のハイライトが訪れるだろう。ほどなくして、新幹線は東京駅に着いた。人ごみをかきわけ私は家路につく。なぜか気持ちは晴れやかだった。美也子と仲直りができていつもの木曜日が帰ってくるからかもしらない。初めてこの現状維持という名の長い長い助走期間が続いていくことがそう悪くはないことに気づいたからなのかもしれない。
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