12 接吻

1/1
前へ
/44ページ
次へ

12 接吻

「エヴァン、さん……」  薫はどうしてエヴァンが、こんな険しい顔をしているのだろう、と思う。しかしその間に、彼は険しい顔のまま、つかつかとやって来た。 「シリルを裏切る事をするなと、警告したはずですが?」 「う、うううう裏切るってそんな……」  エヴァンもやはり寝ていたのだろう、ガウンを着ているけれど急いで羽織ったのか、胸元が大きくはだけている。暗闇でよく見えないけれど、その白い胸に赤い線が見えた気がして、薫は凝視してしまった。  するとエヴァンは薫の視線に気が付いたらしい、ガウンの前を掴んで胸を隠すと、「戻りなさい」と強い口調で言う。 「す、すすすすすみませんっ。眠れなくて……ここ、ここここに、来たら、……落ち着くかなっ……て」  そういえば、一緒に温泉に入った時は、エヴァンの後ろ姿しか見ていなかったのだ。胸にあんな目立つ──傷があるなんて知らなかった。  薫はここに来た理由を説明すると、彼は「それでも」と語気を弱めない。 「シリルが心配します」 「……そ、そそそそそそうですよね……っ、もも、もも戻りますっ」  薫は慌てて踵を返し、シリルの部屋へと走る。  どうして、エヴァンは自分に対して冷たい態度を取るのだろう? かと思えば優しくしてくれたり、慰めてくれたりもする。  ロレットが、どう接して良いのか分からないだけ、と言っていた。けれど、それだけであんなチグハグな態度を取るだろうか? (前みたいに、四人で笑うことは……できないのかな)  そう思って、はた、と足を止める。そしてサッと血の気が引いた。  今、ごく自然にベルの感情が出てきていたのだ。シリルが近くにいないのにも関わらず、だ。 (いや、みんなで笑って過ごしたいっていうのは、僕の願いでもあるし)  そう思い直しまた歩みを進める。何よりシリルもきっとそれを望んでる。そしてロレット、エヴァンも。  けれど、多分ベルの死をきっかけに、彼らの仲に、少し歪みが生じてしまったのかもしれない。 (ベルさんは、……どうして亡くなっちゃったんだろう?)  あんなにシリルに愛されていたのに。けれど都合悪く、ベルの記憶は出てはこないのだ。  シリルの部屋に戻ると、彼は薫に気付かず寝ていた。確かに、起きて薫がいないとなると大騒ぎするだろうな、と思って、エヴァンに少し感謝する。  出た時と同じくそっとベッドに入り、また綺麗なシリルの寝顔を見つめることにした。そして、ウトウトと微睡み始める。 「ベル! 嫌だ、逝かないでくれ!」  シリルの叫び声が突然聞こえた。彼は周りの人に押さえつけられながら、必死に自分に向かって叫んでいる。  けれど自分はもう、ロレットの手のひらにいた。身体はもう、どう足掻いても動かせない。自分に向かって悲痛に叫ぶシリルを、見ていることしかできない。 「シリル、魂を起こすな。ベルが眠れない」 「お前……っ! それでも友か!? 大事な友人……私は婚約者を亡くしたんだぞ!?」  シリルは冷静なロレットの態度に激昂する。彼の暴れる力は相当なもので、大人の男性二人がかりで押さえつけても、ロレットに食ってかかりそうだった。 「運命からは逃れられない。……ベルはとても良い来世を送るだろう」 「私の願いは今世で! 私と幸せに暮らすことだ!」  薫は辺りを見回した。誰もが沈痛な面持ちで、みな、シリルと同じような気持ちでいることは確かだった。婚約者の死に、悲しみのあまり我を忘れているシリルを、誰も責めない。 「シリル。このままお前がベルを引き止めて、今後一生、ベルの魂と逢えなくても、お前はそれで良いって言うんだな?」 「……っ!」  シリルの動きが止まった。薫はベルの魂になったまま、天へ還る準備をする。シリルは膝をつき項垂れていたけれど、ポツリと涙ながらに呟いた。 「なぁロレット、ベルの魂が落ち着いたら、呼び寄せてくれよ……」  召喚もできるだろ? と聞かれたロレットは「分かった」と答えた。 「さあ、今世でのお別れの言葉は、もう掛けられましたか?」  いよいよ最期のお別れだ。シリルは顔を上げてベルの魂を見る。 「すぐに逢える。その時まで、ゆっくり休んでくれ」  涙と鼻水でぐちゃぐちゃになったシリルの顔は、とても見られたものじゃなかったけれど、ベルも同じ気持ちだった。すぐに帰るから、待っててね、と届かない想いを唱える。 「ベル、俺からも別れの言葉だ……」  ロレットが小声で囁いた。しかし何を言ったのか分からない。それなのに、胸がズキンと痛んだ。  魂になっているから胸なんか無いはずなのに、彼の言葉で涙が溢れそうになった。 「……る、大丈夫か……!?」 「……っ!」  目を覚ますと、シリルが心配そうに顔を覗き込んでいた。どうやらいつの間にか眠っていて、夢を見ていたらしい。 「……っ、シリル……!」  薫は目の前の婚約者に抱きつくと、彼は抱き締めてくれる。嫌な夢でも見たのか、と聞かれ、薫は答えた。 「貴方と、お別れする夢……」 「……ああ」  シリルの抱く腕が強くなる。その温かさと力強さに安心すると同時に、薫は今の言動がベルの魂による影響なのか、自分の意思なのか、分からなくなった。  シリルが好きだという気持ちは、薫にも少なからずある。シリルの名前を呼ぶだけで、心が満たされるのは、一体どちらの気持ちなのか。その曖昧さが不安を呼び、薫はシリルに擦り寄る。 「ふふ、朝から甘えんぼうだね、うさぎちゃん」  でも、薫は甘えても拒否されない嬉しさを知ってしまった。自ら唇を寄せると、シリルは応えてくれる。  昨晩の熱が再燃しそうなほど、二人は口付けを交わした。
/44ページ

最初のコメントを投稿しよう!

216人が本棚に入れています
本棚に追加