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12 接吻
「エヴァン、さん……」
薫はどうしてエヴァンが、こんな険しい顔をしているのだろう、と思う。しかしその間に、彼は険しい顔のまま、つかつかとやって来た。
「シリルを裏切る事をするなと、警告したはずですが?」
「う、うううう裏切るってそんな……」
エヴァンもやはり寝ていたのだろう、ガウンを着ているけれど急いで羽織ったのか、胸元が大きくはだけている。暗闇でよく見えないけれど、その白い胸に赤い線が見えた気がして、薫は凝視してしまった。
するとエヴァンは薫の視線に気が付いたらしい、ガウンの前を掴んで胸を隠すと、「戻りなさい」と強い口調で言う。
「す、すすすすすみませんっ。眠れなくて……ここ、ここここに、来たら、……落ち着くかなっ……て」
そういえば、一緒に温泉に入った時は、エヴァンの後ろ姿しか見ていなかったのだ。胸にあんな目立つ──傷があるなんて知らなかった。
薫はここに来た理由を説明すると、彼は「それでも」と語気を弱めない。
「シリルが心配します」
「……そ、そそそそそそうですよね……っ、もも、もも戻りますっ」
薫は慌てて踵を返し、シリルの部屋へと走る。
どうして、エヴァンは自分に対して冷たい態度を取るのだろう? かと思えば優しくしてくれたり、慰めてくれたりもする。
ロレットが、どう接して良いのか分からないだけ、と言っていた。けれど、それだけであんなチグハグな態度を取るだろうか?
(前みたいに、四人で笑うことは……できないのかな)
そう思って、はた、と足を止める。そしてサッと血の気が引いた。
今、ごく自然にベルの感情が出てきていたのだ。シリルが近くにいないのにも関わらず、だ。
(いや、みんなで笑って過ごしたいっていうのは、僕の願いでもあるし)
そう思い直しまた歩みを進める。何よりシリルもきっとそれを望んでる。そしてロレット、エヴァンも。
けれど、多分ベルの死をきっかけに、彼らの仲に、少し歪みが生じてしまったのかもしれない。
(ベルさんは、……どうして亡くなっちゃったんだろう?)
あんなにシリルに愛されていたのに。けれど都合悪く、ベルの記憶は出てはこないのだ。
シリルの部屋に戻ると、彼は薫に気付かず寝ていた。確かに、起きて薫がいないとなると大騒ぎするだろうな、と思って、エヴァンに少し感謝する。
出た時と同じくそっとベッドに入り、また綺麗なシリルの寝顔を見つめることにした。そして、ウトウトと微睡み始める。
「ベル! 嫌だ、逝かないでくれ!」
シリルの叫び声が突然聞こえた。彼は周りの人に押さえつけられながら、必死に自分に向かって叫んでいる。
けれど自分はもう、ロレットの手のひらにいた。身体はもう、どう足掻いても動かせない。自分に向かって悲痛に叫ぶシリルを、見ていることしかできない。
「シリル、魂を起こすな。ベルが眠れない」
「お前……っ! それでも友か!? 大事な友人……私は婚約者を亡くしたんだぞ!?」
シリルは冷静なロレットの態度に激昂する。彼の暴れる力は相当なもので、大人の男性二人がかりで押さえつけても、ロレットに食ってかかりそうだった。
「運命からは逃れられない。……ベルはとても良い来世を送るだろう」
「私の願いは今世で! 私と幸せに暮らすことだ!」
薫は辺りを見回した。誰もが沈痛な面持ちで、みな、シリルと同じような気持ちでいることは確かだった。婚約者の死に、悲しみのあまり我を忘れているシリルを、誰も責めない。
「シリル。このままお前がベルを引き止めて、今後一生、ベルの魂と逢えなくても、お前はそれで良いって言うんだな?」
「……っ!」
シリルの動きが止まった。薫はベルの魂になったまま、天へ還る準備をする。シリルは膝をつき項垂れていたけれど、ポツリと涙ながらに呟いた。
「なぁロレット、ベルの魂が落ち着いたら、呼び寄せてくれよ……」
召喚もできるだろ? と聞かれたロレットは「分かった」と答えた。
「さあ、今世でのお別れの言葉は、もう掛けられましたか?」
いよいよ最期のお別れだ。シリルは顔を上げてベルの魂を見る。
「すぐに逢える。その時まで、ゆっくり休んでくれ」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになったシリルの顔は、とても見られたものじゃなかったけれど、ベルも同じ気持ちだった。すぐに帰るから、待っててね、と届かない想いを唱える。
「ベル、俺からも別れの言葉だ……」
ロレットが小声で囁いた。しかし何を言ったのか分からない。それなのに、胸がズキンと痛んだ。
魂になっているから胸なんか無いはずなのに、彼の言葉で涙が溢れそうになった。
「……る、大丈夫か……!?」
「……っ!」
目を覚ますと、シリルが心配そうに顔を覗き込んでいた。どうやらいつの間にか眠っていて、夢を見ていたらしい。
「……っ、シリル……!」
薫は目の前の婚約者に抱きつくと、彼は抱き締めてくれる。嫌な夢でも見たのか、と聞かれ、薫は答えた。
「貴方と、お別れする夢……」
「……ああ」
シリルの抱く腕が強くなる。その温かさと力強さに安心すると同時に、薫は今の言動がベルの魂による影響なのか、自分の意思なのか、分からなくなった。
シリルが好きだという気持ちは、薫にも少なからずある。シリルの名前を呼ぶだけで、心が満たされるのは、一体どちらの気持ちなのか。その曖昧さが不安を呼び、薫はシリルに擦り寄る。
「ふふ、朝から甘えんぼうだね、うさぎちゃん」
でも、薫は甘えても拒否されない嬉しさを知ってしまった。自ら唇を寄せると、シリルは応えてくれる。
昨晩の熱が再燃しそうなほど、二人は口付けを交わした。
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