216人が本棚に入れています
本棚に追加
3 決心
「……つまり、僕がいた世界とは違う世界、ってことですか?」
「そう。飲み込みが早いね、きみは」
あれから、エヴァンが持ってきた服に薫は着替えたけれど、これもまた素人目にもいい物だと分かる洋服で、恐縮しきりだった。
よく似合っているよ、とシリルに言われ、部屋にあった鏡で見てみる。薫の見た目は前世より髪が少し明るくなって猫っ毛になり、眼鏡が要らなくなり背がほんの少し高くなったくらいで、童顔で子供っぽく見えることは大して変わっておらず、少しガッカリした。
前と大きく容姿が変わっていれば、少しは明るく振る舞えたかもしれないのに、と。
そして薫は、ここに喚ばれた経緯を詳しく聞かされる。
「元いた世界で僕の命が尽きた瞬間を狙って、ここに喚び寄せた……?」
「魂は一人ひとつだからね。元の世界で命が尽きるのを待つしかなかったんだ」
どうやら薫がいた世界の時間と、こちらの世界の時間は、流れの早さが違うらしい。こちらの世界で薫を待っていた時間は二年。元の世界では十八年経っていた。
薫がいた世界のアニメや漫画では、異世界に転生、もしくは転移した主人公が活躍する物語が流行っていたけれど、まさか自分が転生するなんて、と思う。
「いきなり喚び寄せてすまない。不安だと思うが、これからは私がきみを愛し、守るから」
しっかり仲を深めていこう、というシリルに、薫は思わず声を上げる。
「ち、ちょっと待って下さい。僕、男なんですけど……」
シリルの言葉はまるで恋人に囁くようなものだ。人を好きになったことがない薫でさえ、その言葉の意味と重さは分かる。
しかしシリルは首を傾げて、本当に分からない、とでも言うように囁いた。
「……それがどうしたの?」
──ドキリとした。このひとは本気で薫を愛そうとしてくれている。そう感じたのだ。
「シリル、肝心な説明をしていない」
ロレットが口を挟む。彼は呆れたように嘆息していたが、エヴァンはずっと、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「……そうだな。ではまず、城を案内しながら話すとするか」
その前に、お前の自己紹介がまだだったな、とシリルはエヴァンを振り返った。エヴァンはハッとして笑顔を見せ、細くて綺麗な指を胸に当てて、自己紹介をする。
「エヴァン・ルーチスと申します。占い師をしていて、薫様の魂がこちらに来られる時期を、シリルに伝えました」
「占い師……」
葬送師のロレットと占い師のエヴァン。二人の協力で薫はこの世界に来たということか。そこまでして、自分を喚び寄せた理由は何だろう? と薫は思う。
するとシリルは優しく微笑んだ。
「次第に、この世界にいた時の記憶も思い出すだろう。だからきみにも、早くこの世界に慣れてもらいたい」
以前のように、と言ったシリルは、どこか懐かしむような声色をしている。そしてその声を聞いた薫は、やはり懐かしい、と感じるのだ。
自分は以前、この世界にいたのだろう、と漠然と思う。
ロレットが口を開いた。
「薫殿の魂の持ち主が、シリルの婚約者だったんだ」
「えっ? ということは、僕の魂の前の持ち主は、女性だったってことですか?」
「そう。私たちは幼なじみでな」
薫はシリルに促され、部屋を出る。薫とシリルは並んで歩き、ロレットとエヴァンはその後ろに付いて歩いていた。
こうして見ると、やはり三人とも背が高い。一番低いエヴァンでさえ、薫とは頭一つ分ほど違う。
廊下は、小さな窓が沢山並んでいた。窓から見えた外の景色は中庭らしく、レンガが敷き詰めてあるだけの、殺風景なものだ。反対側には同じ形の窓が並んだ壁があり、どうやら左右対称に造られた建物だと分かる。
「私とロレット、エヴァンとベル……イザベルは、身分は違うが仲が良かったんだ」
「……身分?」
薫が聞くとエヴァンが説明した。
「ええ。シリルはクリュメエナ国の国主です。シリルのご好意で、私たちはくだけた話し方をしていますが」
「エヴァンは真面目だなぁ。私がタメ口でと言わないと、堅苦しい喋り方しかしないからだろう?」
そうシリルは笑っているが、エヴァンはいたって真剣だ。薫はなるほど、と思う。シリルはこの中では一番豪奢な身なりで、堂々としている。国王だと言われて納得だ。
「当たり前です。もう幼い子供じゃないですから」
エヴァンがそう言うと、隣にいたロレットが苦笑した。どうしてだろう? と薫は思うけれど、シリルがまた話し始めたので、聞くことができない。
「城の中でも、ベルとの想い出の場所は沢山ある。そこを巡れば、きみもきっと思い出すと思うぞ」
そう言って、優しげな笑みを向ける彼に、薫はまたドキリとした。そしてこうやって胸が高鳴るのも、どこか懐かしい感じがするのだ。やはりこれは、魂の持ち主──ベルが持っていた感情なのだろうか、と。
そんなことを話しているうちに、薫たちはバルコニーに出る。そこで見た景色に、思わず声を上げた。
「わぁ……っ、見晴らし良い!」
城は、山の拓けた場所に建てられていた。目の前には鮮やかな田園が広がり、遠くには赤い屋根の家が固まっている。すぐ下を見ると山の麓に沿うように街があり、川が流れていた。煙……というか湯気だろうか、その川から白い靄のようなものが上がっている。温かい川……どうやら温泉のようだ。
空は高く青く、爽やかな風が通り過ぎて行く。いい場所だ、と大きく息を吸い込んだ。
『私も……シリルが好き……』
唐突に脳裏にそんな言葉がよぎる。思わずシリルを見ると、彼は薫を優しい目で見つめていた。途端に顔が熱くなった薫は、サッとシリルの視線から逃れるように目を逸らす。
「……何か思い出したかな?」
「い、い、いいいいえ!」
(びっくりした!)
薫はシリルに背中を向けると、胸を押さえた。今までシリルに対しては、既視感というか、懐かしいという感情しか出てこなかったのに、突然ハッキリと過去の魂が発した言葉を思い出して、戸惑う。
どうやら薫の過去の魂が、シリルの婚約者だったという話は本当のようだ。
(……それなら)
自分もこのひとを好きになる努力をしてみようか、そう思った。前世では疎まれてきた人生を、ここで本当にやり直すことができるなら。
胸に当てた手を外すと、エヴァンと目が合った。しかし彼はふい、と薫に背を向けると、「ロレット、話があります」とこの場を去ってしまう。ロレットも、「じゃあまた」と言って去って行った。
最初のコメントを投稿しよう!