9 一筋の光

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9 一筋の光

 それから遥が雅樹と話すことができたのは、一週間後のことだった。  劇中歌のひとつが完成したので、データを取りに来て欲しい、と雅樹から連絡があり事務所に向かう。 「それくらいの用なら、谷本さんを介してでもよくない?」  事務所にいた雅樹は、笑顔で遥を迎えた。遥はあえて谷本の名前を出すと、彼は苦笑する。大方、遥から谷本を介してと言うなんて、珍しいとでも思っているのだろう。 「いや、遥に会いたくてね。調子はどうだい?」 「スタッフから聞いてるんでしょ? どうしてわざわざ聞くの」  遥はつっけんどんに返した。この雅樹の、女性が聞いたら勘違いしそうな発言もやめてほしいと思う。期待させるだけさせて、本当は気にもしていなかったとか、ダメージを受けた女性は多いだろうに、とため息をついた。遥もそのうちの一人だったとは、口が裂けても言わないけれど。 「調子はよさそうだと聞いているよ。けれど、きみは演技が上手だから」  雅樹の言葉に、遥は目を細めて口角を上げてみせる。 「なにそれ。褒められてるのか貶されてるのか分かんないんだけど」 「褒めているよ。だから本当に調子がいいのか確かめたいんだ」  見たって僕の本当の苦しみは分からないくせに、と内心遥はそう思いながら、笑みを深くした。雅樹も目を細める。 「というのは半分で、永井さんと食事に行くことになったんだ。遥も行こう」  そう言われて、遥は少し躊躇う。永井に最後あったのは雅樹と同じく一週間前。しかも谷本との前だったので、何となく会うのは気まずい。 「永井さんと食事なら、綾原との方がいいんじゃない?」 「それも考えたけれど。どうやら永井さんは遥がいいそうだよ」  遥は呆気にとられた。嫌われる要素はありこそすれ、気に入られる要素はまったくないはずだ。どうして、と思っていると雅樹は笑っていた。 「顔合わせの言葉が効いたかな? 現場を見に行った方がいいのかと、相談を受けたよ」 「……」  遥はまたしても何も返せなかった。あの発言のせいで谷本に『おしおき』される羽目になったというのに、彼は真面目にも舞台の行く末を見守るつもりで、あの時も来ていたのだ。  もしかして、これは最大のチャンスかもしれない。  遥は拳を握る。永井は出資者を名乗れるほどの、権力と財力の持ち主だ。調べたら会社も何社か経営しているらしい。彼を落とせば、きっと谷本の機嫌はよくなる。そうなれば、この地獄から抜け出せるはず。永井は遥の希望になった。 「あれで僕を気に入るとか、永井さんひょっとしてマゾっ気ある? 僕はお酒飲むからね」  暗に行くことを了承すると、雅樹はクスクス笑いながら、はいはいと返事をする。見透かされて、子供扱いされているようでムカつく、と遥はそっぽを向いた。 ◇◇  その後、遥たちが来たのは、完全個室の日本料理店だった。外はすっかり暗くなったが、中庭の景色がとても綺麗で、灯篭の明かりが柔らかく辺りを照らしている。 「んー! お酒も料理も美味しいっ。また個人的に来たいですねー」  宣言通りお酒を飲んでいい気分になり、遥はひとりで喋っていた。元々雅樹は話す方ではないし、永井は見た目通りなので言わずもがなだ。  前回居酒屋で一緒になった時は、所作よく振舞おうとしていたのがバレたので、あえて「素のまま」で食事をしている。けれど永井は遥の質問にも「ああ」とか「そうですね」としか答えず、さすがに喋り続けるのは疲れた、と雅樹を見た。しかし彼はニコニコとこちらを見ているだけで、フォローする様子がない。 「はぁ、ついつい飲みすぎちゃいますねぇ」  これはお世辞ではなく、本当に料理もお酒も美味しかった。そのうえ「素で」過ごしていたのもあり、多少飲み過ぎた感じがして、演技ではなくふらつく。 「遥、きみはそろそろ止めた方がいい」 「えー? 楽しい気分なのに止めろとか、ほんとあんたむかつくー」  遥は口を尖らせ文句を言うと、それまであまり話さなかった永井が口を開いた。 「小井出さんは……木村さんのことをいつもそうやって呼んでいるのか?」  表情からは、永井がどんな感情で言っているのか分からなかった。酔っていて判断力が落ちているせいもあるかもしれないけれど、やはり永井は、感情を読ませないところがある。 「そーですよー? 僕がいくらアピールしても、かるーく流されるのでー」  ねー、と笑顔で同意を求めると、雅樹はさすがに苦笑していた。すると、お茶を啜っていた永井は「なんだ」と嘆息する。 「ずいぶん演技に自信があるようだったのに、自分のところの社長も落とせないのか」 「な……」 「まぁまぁ永井さん。遥はまだ若いので」 「ちょっと、ひとを子供扱いしないでくれる?」  遥は雅樹を睨み、こうなったらと永井の隣に移動する為に立ち上がろうとした。けれど視界がぐらつき、雅樹に支えられる。 「ほら、飲み過ぎだよ。酔うとさらにひとに絡んでいくのは、きみの悪い癖だ」 「うるさい……」  こうでもしなきゃ、みんな自分に見向きもしないんだから。そう思った遥は、急激に意識が遠のいていくことに慌てた。どうやら、本当に飲み過ぎたらしい。  こんなに酔った状態で家に帰されたら、また谷本に何をされるか分からない。嫌だ、帰りたくない。かと言って、帰らないとそれはそれで谷本がうるさい。  そんなことを意識を失う直前まで思いながら、遥は完全に雅樹にもたれかかってしまった。
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