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8 気付いて
「……──ッ!!」
遥は両手で口を塞ぎ、強制的に高められた切っ先から熱を吐き出してしまう。
ドロドロになったそこを、谷本はゆっくりと撫で、白濁したものを拭き取っていった。その淫靡な見た目と動きに、遥は込み上げてくるものを必死に抑え込む。
「ほら。あなたをコントロールするなんて簡単なことなの。──分かったなら早く戻りなさい」
甘く、囁くように言ったかと思えば、谷本は突き放して立ち上がった。持っていたハンカチで手を拭き、カツカツとヒールの音を鳴らして去っていく。
彼女の姿が完全に見えなくなってから、遥はようやく身体の力を抜いた。
「ぅ……」
気持ち悪い。気持ち悪くて吐きそうだ。遥は剥かれた下半身の服を整えると、震える吐息を全部吐き出す。
「僕は小井出遥だ……マネージャーにこんなことされてるなんて、口が裂けても……っ」
胃から何かが込み上げた。何とかこらえると、谷本の唾液で濡れた唇を袖で拭う。袖に口紅が付いたので、顔にもまだ付いてると判断した遥は、早く顔を洗いに行かないとと思う。けれど動けない。
言えない。この状況をどうにかして脱したい。でもどうしたらいいのか分からない。頭が痛くなって目眩がし、目を閉じてやり過ごす。
「しっかりしろ。僕は芸歴が長いんだ。こんなの枕やってた頃に比べれば大したことじゃない。僕の演技力なら、円満に成功させることができるはずなんだ」
ブツブツと自分に言い聞かせ、呼吸を整える。昨日と今日と、連続で谷本にあんなことをさせられたから疲れてるんだ、と喘ぐように上を向いて目を開けた。
その目尻から、涙が零れる。
「……誰か、気付いてよ……!」
でももう、限界だった。谷本との仲が悪くなった本当の原因を、黒兎も、雅樹でさえも知らないのだ。
十数年、遥は地獄を見てきた。第二次性徴が始まる前から、谷本に枕営業のやり方を教わったのをキッカケに、彼女は遥をコントロールするために支配し、成人した今もその関係は続いている。
このまま隠し通したい気持ちと、誰かに助けを求めたい気持ちがせめぎ合う。もちろん、冷静に考えればすぐにでも助けを求めることが正解なのは、知っていた。
けれど、なまじ名前が知られている遥の、センセーショナルなこの事件をマスコミが嗅ぎつけてしまったら? 嫌なところをつつくのが大好きなマスコミは、大喜びで曝すだろう。遥の今後の芸能生活なんて、考えやしない。
「嫌だ……やっぱ言えない……」
何度も繰り返した葛藤。けれど最後はいつもこの答えに辿り着く。隠し通して、遥がもっと売れるようになれば、谷本は自然と止めてくれるだろう、そう思っていた。だからどんな仕事でも受けてきた。自分が芸能界に残るために。
でも、現状はどうだ? 自分の「売れている」という目標には程遠い。
遥は立ち上がる。袖で涙を拭い、誰にも見つからないように洗面所へ向かった。鏡で見ると誰にでも分かるほど、口紅を拭った跡がある。
途端にまた胃が勝手に動き出した。えづいて顔を伏せるものの何も出ず、こんなところを見られてはと思って顔に勢いよく水を掛ける。油分がしっかりある口紅はなかなか落とせず、備え付けのせっけんをつけて「早く落ちろ」と力任せに擦った。
顔を上げると、疲れた自分が鏡に映る。その姿が、急激に滲んでいった。
みんな、きらいだ。僕も、誰かに愛されたい。ひとり立ちしたいと思っているのに、まだあまえたい。
二十一にもなって、思春期を拗らせているのは分かっている。谷本との関係が悪化して、甘えられる相手もいない。いいなと思ったひとにはすでに大切なひとがいて、助けを求められるほど、仲がいいひともいない。
「……」
遥は深呼吸した。考えるのは止めだ、雅樹を諦めた時に助けを乞うことも諦めたはずだ。何をまたうだうだ悩んでいる、と両頬を叩く。
「僕は『小井出遥』という『商品』だ。商品の遥は、こんなのじゃない」
早く戻って、みんなに迷惑をかけた謝罪をしなければ。
遥はもう一度、鏡に映る自分を見て笑って見せた。そこにわざとらしさはないか確認し、袖で顔を拭いて洗面所を出る。
大丈夫、もうヘマはしない。してたまるか。
そう思って、遥はスタジオに戻っていった。
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