59.その歌姫は、誇りを賭けて想いを交わす。

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「帰るか。一緒に」  そう言って伸ばされたルヴァルの手にエレナは視線を落とす。  当たり前のように、彼は何度だって手を差し伸べてくれる。  だけど、それが"当たり前の事"ではないとエレナは知っている。 「……ごめん、なさい」  実家では誰かに気遣ってもらうことなど全くなかった。  この世界のどこにも自分の居場所なんてなくて、消えてなくなりたいと思った事もある。  だけど、今は。 「勝手に屋敷を抜け出して、しかも迷子になって、いっぱい迷惑かけてごめんなさい!」  エレナはルヴァルの腕に飛び込んで、 「迎えに来てくれてありがとう」  この居心地の良い人の隣を誰にも譲りたくないと強く願う。 「何だ。どこか目的地があるのかと思ってたんだが、迷子かよ」  泣き出したエレナの背をトントンと叩きながらルヴァルは可笑しそうに笑う。 「だって、起きたらルルがお屋敷にいないからぁ〜」  置いていかれたと思ったんだものとエレナは抗議の声をあげる。 「面会謝絶喰らってたんだよ」 「なんでぇ〜〜?」 「俺が聞きてぇわ」  ぐずぐずと泣くエレナに泣き虫と揶揄うように言ったルヴァルは、 「まぁ、でもリーファはすっげぇ心配してたから、あとで怒られろよ」 「……一緒に怒られてくれる?」  ナイフ飛んで来ても避けられる気がしないと小さな声でエレナはそう返す。 「安心しろ。既にナイフ投げつけられた後だ」 「安心ってどこがぁ?」  安心できる要素が見当たらないというエレナの黒髪をゆっくり撫でて、 「リーファはエレナに手をあげるヤツじゃないだろ」  と問いかける。 「そんな人、バーレーにはいないわ」  そう、実家とは違うのだ。  バーレーでは理不尽に振り下ろされる暴力などない、とエレナは知っている。 「じゃあ安心して怒られとけ」  一緒に怒られてやると言ったルヴァルの腕の中で、泣き止んだエレナはクスクスと笑う。  きっと、幸せとはこんな何気ない日常の名前なのだろうとエレナは思う。  母亡きあとの実家にいた時には、決して得られなかった、幸せ。  これを失うのは、耐えられない。けれど、後悔もしたくない。  勇気を出すなら、今だろう。   「ルル」  エレナは少し身体を離し、まっすぐ青灰の瞳を見ながらその名を呼ぶ。 「私、バーレーに帰りたい。誰一人欠けずに、みんなと一緒に」  見上げてくる紫水晶の瞳がはっきりと自分の意思を示す。 「ルルの憂いは私が払う。私は、もう二度と降りかかる理不尽に負けない」  ソフィアに魔力回路再生治療を施してもらっている最中のまだ未完全な自分の身体。  だけど、これから起こる事と戦うための方法は知っている。 「だから、私をあなたの一番側に置いて欲しい」  名目上の妻ではなく、信頼できる相手として。  背筋を凛と伸ばし、胸に手を当てそう宣言するエレナ。  そんなエレナの姿にルヴァルは思わず息を呑む。  そこには尊厳を奪われ、理不尽に虐げられて自信を失っていた頃の面影など微塵もなく、堂々と自身の誇りを賭けて立ち向かう美しい淑女の姿があった。 「……レナ」  ルヴァルが口を開くより早く、エレナはそれを遮って言葉を重ねる。 「もう後悔したくないから、伝えておくね! 私、ルルが好き。大好き……なの」  その声は少し震えていて。 「ルルが私に"妻"としての役割を求めてないのは分かってる。ルルが目的を遂げて、いつか本当にこの椅子(正妻の座)に相応しい人が現れたら、私は出て行かなきゃいけないんでしょう?」  今にも泣きそうなのに、言葉にしなければと強い意思を持っていて。 「私はバーレーのみんなみたいに強くはない。だけど、私はいつかルルの本当のお嫁さんになりたいの! 絶世の淑女……にはまだなれてないけど。でも、これから頑張るから」    猶予期間を貰えないでしょうか? とエレナは顔を紅くしながらルヴァルにそう問いかけた。
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