1111人が本棚に入れています
本棚に追加
59.その歌姫は、誇りを賭けて想いを交わす。
「うぅ、迷った」
困ったと、泣きそうな声でつぶやいたエレナは、一般公開されている庭園で1人うずくまる。
誰かに道を尋ねようにも先日の騒動の関係もあってか庭園に人はほとんどおらず、エレナが思っていた以上に城内の敷地はずっと広かった。
子どもの時分、母に連れられて王城を出入りしていた頃の記憶だけを頼りにここまで来たのだけれど、年月が経過したそれはずいぶんと曖昧で朧気で。
正直エレナは今自分がどこにいるのかさえわからない。
「お屋敷で素直にルルの帰りを待てば良かった」
なぜ行けると思ったんだ、とエレナは後悔する。
城内は広い。そして仮にルヴァルが出向いたであろう王城付近に辿り着けたとしても身分証すら持っていない状態でルヴァルに取り継いでもらえるわけもない。
冷静になれば分かる事に思い至らないほど、目が覚めた時のエレナはただルヴァルに会いたいという気持ちしかなかったのだ。
「しかも書き置きすらしてない。絶対、怒られる」
今更かもと思いながら手紙をくくりつけた魔馬に屋敷に戻るよう頼んだ。
とても賢い子でエレナの言葉を理解したらしく、優しく身体を擦り付けたあと静かに屋敷の方向に歩いていった。
「ルルに会えないどころかお屋敷に戻れなかったら、どうしよう」
いい歳をして完全なる迷子。
こういう場合に自分が取るべき行動って何だっけ? とエレナはぼんやり考える。
そしてふとこの城内の敷地でルヴァルに出会った時の事を思い出す。
あの時の自分も迷子をやっていて。ルヴァルに助けてもらったのだ。
「そういえば、あれから10年……ね」
とても短い時間の関わりを、きっとルヴァルは覚えてなどいないだろう。エレナだってあの時の黒髪の少年がルヴァルだと気づいたのはつい最近の事なのだ。
瞳の色も髪色も変えて一人王都で暮らさなければならなかった少年は、今では辺境伯として国の防衛最前線を支える立派な領主になっているというのに。
「私、10年じゃ絶世の淑女にはなれなかったな」
絶対謝らせるだなんて大口を叩いた割に、未だそれになれていない自分。
だから、"これから"が欲しいとエレナは思う。
「絶世の淑女になりたいな」
10年という時間の経過。
約束とも言えないそれを果たすことはできていないけれど、もし待ってもらえるのなら少しでもそんな自分に近づきたい。
彼の隣に立つために、俯いている時間すら惜しい。
「よし、反省おしまい」
状況を改善しないととエレナは屋敷に戻る方法を考える。
『迷子になった時は歌を歌えばいいのよ』
不意に母の言葉が蘇る。
そうだ、城内の庭園でルヴァルとはぐれてしまった時も歌を歌っていたのだったとエレナは思い出す。
「"迷子の時は歌を歌うの。そうしたら、きっと誰かが見つけてくれるから"」
そして、あの時はルヴァルのために歌ったのだ。彼が怪我をしないように、と祈りと魔法を込めて。
今の自分では魔法を歌に込める事はできないが。
「〜〜〜♪ーーー♪」
願うことはできる。
エレナはルヴァルを想いながら、あの日と同じ旋律を紡ぐ。
回帰したルヴァルが今世では彼が願う未来に辿り着く事を祈って。
一曲歌い終わったエレナの頭上に影ができる。
「やっと見つけた」
「……ルル」
会いたい、と願った人が目の前にいることに驚いてエレナは紫水晶の瞳を瞬かせる。
「大したもんだ。ウチの連中を撒くなんて」
楽しげに口角を上げたルヴァルは、エレナに手を伸ばしいつもみたいに少し乱暴な動作で髪をくしゃくしゃと撫でる。
「どう、して?」
どうしてここにルヴァルがいるんだろうと不思議そうに見上げてくる紫水晶の瞳をルヴァルは愛おしそうに覗き込む。
「この辺りでエレナが歌っている気がした」
ルヴァル自身にも何故ここにエレナがいると分かったのか上手く説明できない。
ただ、エレナに呼ばれたような気がしたのだ。
「歌、聞こえたの?」
びっくりしたように尋ねるエレナに首を振り、
「強いて言えば、レナに共鳴したのかもしれない」
だから迎えに来たと告げる。
一度目の生で神獣と契約を交わした際に言われた"共鳴の力"。
エレナを妻として迎えた時には全く分からなかったソレ。
だが、時を重ねエレナが信頼を寄せてくれるようになるにつれ、時折エレナの感情に共鳴するようになった。
エレナが悲しいと思えば、深く心に突き刺さり、楽しいと思えばルヴァル自身も嬉しくなる。それはまるで自分の感情のように激しくルヴァルを揺さぶった。
そして、それが強く感じ取れた時にはエレナの居場所さえも把握できた。
それは言葉にできない、だがエレナとルヴァルの間に確かに存在する絆のようなモノだった。
最初のコメントを投稿しよう!