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「曇ってるね」
黙っていた声が空を見上げながら呟く。
「昼間は晴れてたのに」
俺は奴には答えず、ずっと海を見ていた。寄せては返す波の音だけが反響して、その波の動き自体は見えない。暗いのだ。その黒い水面の奥に、何か、おどろおどろしい化け物が潜んでいるような錯覚をする。俺は首から提げたカメラを無意識に手で確かめた。
ハルカが何かごそごそやって、特に断りもなく貰った煙草に火を点けた。咥えた口の端からふっと吐き出す仕草は慣れた様子だ。
「苦……」
「よく吸うのか」
「んー、いや。昔少しね。今は別に」
「じゃあ何で受け取ったんだ」
また吸って、吐いた。肩の上の俺をちらりと見てから静かに逸らす。
「写真家さんが気にしてたんじゃん。何かあるのかなあと思って」
「ああ……いや、深い意味はなかったんだが」
何となく目についた、それだけである。するとハルカはまた「ふうん」と気のない声で相槌を打った。
会話が切れたところでふと引っかかって、俺は階段に差し掛かったハルカの肩を叩いた。
宿は階段の上にあると聞いている。
「昔ってお前、まだハタチとかそこらだろ。いくつだ?」
「百五十歳」
腹の立つ冗談だ。付き合ってやる気はないので、俺はただ奴の髪を引っ張る。いたたと笑ったハルカは左手で俺から髪を取り返して、右手で飽きずひとくち喫んだ。
吐き出された煙は白い。対比のように黒い中空を、何かそういう形の生き物のように漂い、やがて消えた。
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