わたしの夢

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わたしの夢

私が生まれたのは宮崎の漁師町 小さな島だ 父は気の荒い漁師。 負けん気が強くて 人に漁獲量が負けた日は不機嫌になり、母に暴力をふるう。 私たち家族は いつも顔色を伺って暮らしていた。 機嫌が良い時は船に乗せて海遊びや 祭りによく連れて行ってくれていた。 40歳過ぎてから喘息になり始めた父は私が熱を出すと不機嫌になる。 また私から移されて沖に出る事が出来なくなるから… 姉や弟が怪我したり熱を出すと心配してすぐ病院に連れて行くのに 私が大怪我しても高熱出しても怒鳴られていた。 2つ年上の姉は毎日 祖父母に連れられ街に出て行く。 だから幼少期は独りぼっちで遊んでた記憶しかない。 海で遊んでる時 波にさらわれたり 大怪我したり… 今 思えばよく生きていたものだ。 それでも小さな島。 波にさらわれて誰かに助けられたり 自力で助かったりしても誰かが母の耳に入れる。 助けてくれた家にお礼を言いに行く事が幾度もあった。 母は私の大切な人。 私は母だけは悲しませたりしたくない。守っていこうと幼心に思っていた。 私が熱を出すと 父が不機嫌になる。 家族が穏やかに・平和に過ごしてほしい。 私は高い所から落ちて足を傷めても とんでもない程の腹痛… 虫歯の痛みさえも我慢するようになっていった。 私が大怪我しても病院には連れて行かずに母の治療。 泡がブクブク出て痛い痛いオキシドール治療が始まるからだ。 治療している時の母はどこかしら嬉しそうに見える… 学校に行くようになってからも私は体調が悪くなり保健室で寝るようになったが親には連絡しないように頼み 何もない顔して下校する。 帰宅したら 1人で遊びに行き キレイな夕陽を見つめてると必ず母が私の名前を叫びながら探しに来てくれる。 それだけが唯一私の甘え方だった 心安まる時間。 あぁ 母ちゃんと2人きりで ずっと居たい 何度思ったことだろう
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